黄昏の特等席
 嫌な予感がしたので彼の手を払い、逃げるために背を向けた。

「薬を買う金もないのに、どこへ行くんだ?」

 前に出しかけた足は中途半端に止まった。何も言えずにいると、男はグレイスを軽々と抱き上げた。

「きゃっ!」
「ふっ・・・・・・」

 驚いているグレイスを笑いながら、男は歩き始める。

「ど、どこに・・・・・・」
「帰るんだ」
「どこに?」

 屋敷に帰るのかどうか確認すると、男は短い返事をした。

「帰るところにな・・・・・・」
「私は・・・・・・!」

 グレイスが家族でないことを言うと、彼は小さく笑った。

「私の大切な鳥の手当てをしてくれただろ?」
「あの鳥!」

 あの鳥はグレイスがどんなことをされていたのか知っていたから、あそこから抜け出すために、小鳥に変身する薬を運んだのだ。

「あの薬は、あなたが?」
「それを欲しがっていたから、譲っただけだ」

 まさか小鳥に変身させた少女を連れてくるなんて、彼は想像もしていなかったようだ。
 自分自身、一生閉じ込められるかもしれないと毎日思っていた。それがこんな形で出られるなんて、夢にも思わなかった。

「そういえば、まだ名乗っていなかったな」
「そうね・・・・・・」

 男もグレイスも互いの名前を教えていなかったことに気づく。
 彼が先に名前を言った。グレイスの名前を知りたがる彼に本当の名前で名乗るか迷った。頭に被せられている布をずらして正面を見ると、知らない宝石店の前を通り過ぎた。

「・・・・・・アクアマリン」
「よろしく。アクアマリン」

 これがグレイスとブライスとの新しい生活の始まりだった。
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