六本木グラスホッパー
「不味いったらありゃしねえよ。お袋のさ、味付けは最高なんだよ。醤油とみりんの混合比は天下一品だ。でもよ、鰤が良くねえ。どんなにスープの美味いチャーシュー麺だって、チャーシューが不味けりゃそれはチャーシュー麺じゃねえ。そうだろ?」
そう早口に言って、アラタは同意を求めるかのようにボクの肩を叩いた。強引な論理展開はアラタの得意技だ。
「そうなのかな」
「昨日の鰤は最悪だった。だから昨日の鰤の煮付けは、鰤の煮付けじゃねえんだ」
アラタの言いたいことは分かる。
この前、アラタの父親と商店街で会ったとき、彼の父親は不満気に言っていた。
「いい魚がいなくなっちまった」
と。
この街には昔から魚の養殖場が数箇所あるけれど、最近の水質汚染のせいで美味い魚が育たなくなってしまったらしい。
水質汚染が影響を及ぼしているのは魚だけじゃない。
水が悪ければ土も質が悪くなる。
水質汚染は土壌汚染にも繋がり、農作物にも多大な影響を及ぼしていた。商店街の八百屋に売り出されている野菜はどれも形が悪く、小さく、しおれているものばかりだ。スーパーマーケットに売っている野菜には海外から輸入しているまともな物もあるけれど、一般市民には高価すぎてとても手が出ない。
昔からこの街で商売をしている店には活気が無くなり、景気は一向に良くならず、店をたたまざるおえない状態に追い込まる商店は後をたたない。
この街は十数年前まではバブル全盛期で、今よりもっと(治安が悪いのは昔からだったみたいだけど)人々にとって暮らしやすい街だったという。
けれどもバブル崩壊後、企業は大規模なリストラをおこなった。今までの年功序列的な賃金制は廃止され、今まで正社員だった人もアルバイトに格下げされたり、とにかく当時は大変だったらしい。
職を失って路頭に迷う人も続出して、ホームレスが激増した。
この煙町のいたるところに虚ろな瞳をして寝転んでいるホームレスたちは、当時の被害者たちだ。