グレープフルーツを食べなさい
「まあ、飲みましょう。はいカンパイ」

 何故か上機嫌の上村は、気後れしている私になど全く構わず勝手にワイングラスを合わせた。

 丁寧に磨かれ、テーブル上のキャンドルの灯りを反射してきらめくグラスが、キン――と余韻の残る涼やかな音を立てる。

 あの後、上村はすぐにタクシーを捕まえた。

 煌々とライトが照らすアーケード街を抜け、入り組んだ路地に入る。

 雑居ビルが立ち並ぶ一角にその店はあった。

 レンガ調のタイルが施された壁面を濃い緑の蔦が覆うその店は、ドアの横に『空-KU-』と書いてある看板が掛けてあるだけで、パッと見何の店なのかわからなかった。

 木製の重いドアを開けると、地下へと続く細く急な階段が現れる。その階段を下りたところに、この店はあった。

 控えめな照明に低いボリュームでジャズが流れる店内は、まるで隠れ家のような雰囲気だった。


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