サヨナラなんて言わせない
それから俺はビールを一杯だけ軽めに飲むことにした。
お酒があるからだろうか、今日の彼女はこれまでの刺々しさが形を潜めていた。
俺の知っている彼女とほとんど変わらない柔らかさを醸しだし、今日までほとんど会話のなかった俺たちの間に初めて会話らしい会話が生まれていた。

何てことはない当たり障りのない会話。
今日は混んでて疲れただの、今食べている揚げ出し豆腐が絶品に美味しいだの、本当に取るに足らない会話。
だがその何でもない会話ができることこそ、俺にとっては何よりも幸せを実感できた。
これまではまともに目を合わせてもらうことすら難しかったのだから。


このままなら・・・今夜落ち着いて話ができそうな気がする。

彼女が俺の話を聞いて怒り狂うのは当然のことだ。
どんなに罵倒されようとも、俺は全てを受け入れる覚悟はできている。
だができることなら話し始めは落ち着いた状態でしたい。


俺は自然な会話がしたくてずっと疑問に思っていたことを口にしてみた。

「さっきのグラス、買わなくてよかったんですか?」

そう。
俺の経験からいくと、あの状態までいっていれば十中八九彼女はあの切り子を購入していたはずなのだ。それなのに結局断念した。
何故なのか、素朴な疑問だった。
値段が・・・・なんて理由ではないはずだ。
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