誇り高き
大和屋焼き討ち事件
大和屋に着いた斎藤は、絶句していた。
燃え上がる店の屋根には、芹沢が一人勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「いったい……何が…?」
芹沢さん、あんたは何をしているんだ?
自分達が守らなければいけない京を、芹沢は破壊している。
「芹沢さん、もうやめてくれ!!」
近藤は必死に芹沢に呼びかける。
しかし、芹沢は下品な笑い声を上げるだけで、応じようとしなかった。
土方は普段よりも、額の皺をなお一層深くし、芹沢を睨んでいた。
「頼む…っ。芹沢さん。もう…っ」
「なぁ、近藤」
やっと、芹沢が応じた。
「大和屋は、長州に通じていた。其れを潰して何が悪い?」
「……っ!それは…」
「こいつらだって、長州の武士と考えてることは、何も変わんねぇぜ?其れとも、武士は斬れても商人は斬れねぇってか」
芹沢は嘲笑した。
「あめぇな。近藤。甘過ぎんだよ、おめぇはよう」
「もういい!!」
土方が前に出て、怒鳴った。
「近藤さんが、鬼になる必要はねぇんだ!近藤さんの代わりに、俺が鬼になる!
だから…っ」
「くくっ。土方、お前のその覚悟嫌いじゃねぇぜ。だがよ、お前も優し過ぎる。
鬼には向いてねぇな」
炎がぼっと燃え上がった。
また、三人の間にも熱い空気が漂っている
そんな中に、水をさすように冷たい声が入ってきた。
「議論でしたら、屯所に戻ってからやって欲しいものですね」
何時の間にか、紅河が腕を組んで塀に寄りかかっていた。
「貴方がたが邪魔で火消しが出来ないんですよ。とっとと屯所に帰ってもらえると助かるのですが」
紅河は芹沢の方をちらりと見上げた。
「そろそろお酒を飲む時間では?私がお酌しますよ」
右の口端を吊り上げる。
その顔は、見た者を震えさせた。
「……ふん。興醒めだ。お前の酌などいらん。酒が不味くなる」
紅河の乱入によって、芹沢の機嫌は一気に悪くなった。
「興醒め、ですか。私には貴方の行動が不粋に思えてならないのですが」
「貴様っ!!先程から聞いていれば、芹沢先生に何と言う口のきき方をっ。失礼であるぞ!!」
紅河の不遜な物言いに、一人の男が刀を突き付けた。
芹沢系の局長で芹沢の右腕、新見錦。
顔を真っ赤にして、紅河に怒鳴る。
紅河は冷たい瞳を新見に向けると、低く呟いた。
「どけ」
たった二文字の言葉に、新見は喉元に刀を突きつけられたような、恐怖を感じた。
「ひっ……!」
がたがたと震え出す新見を無視して、紅河は芹沢に視線を戻す。
剛胆で誰にも止められない芹沢さえもが、その視線に凍りついた。
「貴様が……真の…鬼……か」
紅河は薄く笑う。
「所詮、人は人。鬼になどなれませんよ」
すっと紅河が一歩踏み出す。
心なしか、炎の勢いが少し弱まった気がした。
「芹沢局長。貴方もです。鬼になりきれない二人のために、いや、二人を鬼にしたく無いからこそ、貴方は自分が鬼になろうとした。
……………違いますか?」
「黙れ!!!」
芹沢が大声で叫んぶ。
紅河には、其れが肯定しているように聞こえた。
「心の底にある、犠牲的な優しさが消えない限り、鬼にはなれませんよ」
なれたとしても、其れは紛い物なのだ。
そうやって出来た鬼は、いつか壊れる。
「黙れーーー!!」
芹沢が屋根から飛びかかって来た。
きらりと抜かれた刀が光る。
「「紅河ーーーっ」」
その切っ先は、紅河を貫いた_____
「なにっ?!」
「舐めないでください」
刀が貫いたのは、紅河の残像だった。
紅河は一瞬のうちに、芹沢の背後に回り、彼の首に手を添えていた。
たかが一本の手だが、刀と同じ、いや其れより高い殺傷能力を持っている。
「お帰り下さい。芹沢先生」
耳元で囁かれた声に、芹沢の心臓がどくんと跳ねた。
冷たい声とは反対に、熱い吐息が首にかかる。
「……気が変わった。酌をしろ」
「では、お帰り頂けるのですね」
するりと紅河は、芹沢から離れる。
「……脅してきた奴がよく言うな」
その言葉に紅河は、僅かに首を傾けた。
「気付かないとでも思ったか……。まぁ、いい。屯所で待っているぞ」
芹沢は身を翻すと、屯所へ去って行った。