幸せは名もない1日につまっている
シーン1 夏(ナツ)
   7月の夜。居酒屋。店には昭和歌謡が薄くかかっている。
   カウンター席に恵と夏が隣り合わせで座って飲み食いしている。

夏 「ないない、それはないわ~。」
恵 「えー。」
夏 「恵、相変わらず男の趣味が悪いなぁ。」
恵 「ええー、なっちゃんにいわれたくないなぁ。」
夏 「だって、手帳にプリクラ貼りまくってるとか、俺友達多いですーって
   自慢してるみたいで嫌じゃない?」
恵 「実際に多いんだって。」
夏 「あとさっき見た全身のやつ。足長く見せようとしてるじゃん。
   そのプリクラ撮り慣れてる感に腹が立つ。てかキモイ。」
恵 「けっこうカワイイ顔してるんだけどなぁ。」
夏 「恵はお子ちゃまだなぁ。」
恵 「なっちゃんはどうなのよ。高2の時の野球部以来、
   男の話しなんて聞いたことないけど?」
夏 「私はね、ヴァイオリンを弾ける男の子が自転車の後ろに
   乗せてくれるのを待ってるの。」
恵 「どこのセイジ君よ。ストライクゾーン狭すぎるでしょ。」
夏 「でもさ、現実問題、余裕がないときに支えてくれる彼氏さんが欲しいよね。
   お互いに苦手な部分を補い合えるようなさ。」
恵 「頼りにしてるよ、なっちゃん。」
夏 「私かー。」
恵 「そうだよ。私はねー、なっちゃんがデザインしたインテリアで
   お店を出すって決めてるんだから!」
夏 「喫茶店かー。恵は変わらないね。」
恵 「うん。」
夏 「私はさ、デザインやめちゃったんだよね。」
恵 「え、やめちゃったの?インテリアデザイナー。」
夏 「そう、やめちゃったの。」
恵 「どうして?
夏 「デザイナーとかっていっちゃー自称でしょ?資格とかないじゃん。
   それが不安定に思えてさ。」
恵 「色彩検定とか頑張ってたのに。」
夏 「でもそれってあくまで検定でしょ。資格と違ってその人の学力とか
   技能を保障してくれるものではないのよ。
   なになに検定何級なんて持ってたって、
   あんなの気休めにしかなんないの。」
恵 「うん。」
夏 「聞いてよ、今の職場だってさ、私より動けて使える歯科助手が
   いっぱいいるんだよ。なのに私は歯科衛生士の資格を持ってるってだけで、
   患者さんの口の中に手も入れられるし、給料だって高いんだから。
   助手の人たちには悪いなぁって思うけど、それって学生時代にどれだけ
   苦労したかの差だと思うわけ。
   だったら、せっかく短大行って国家資格取ったわけだし、
   そっちで一生食って行った方がいいかな?なんて思っちゃったのよ。」
恵 「なんか、なっちゃんらしくないなぁ。」
夏 「だからさ、恵は頑張ってよ。喫茶店やりたくてわざわざ
   経済学部まで行ってるんだから。」
恵 「うん。」
夏 「そんな顔しないの。ちゃんと常連になるからさ、スイーツ目当てにね。」
恵 「ケーキでしょ、タルトでしょ、プディングでしょ、スコーンでしょ、
   ティラミスもいいなー。」
夏 「ランチタイムにはパンケーキでしょ!」
恵 「最近はガレットも多いよね。」
夏 「いいねー、オシャレじゃん。恵が作るの?」
恵 「今パティシエの友達絶賛募集中。」
夏 「なにそれ。」
恵 「だって私ぶきっちょなんだもん。」
夏 「一番おいしいところ他の人にやらせちゃうの、なんかもったいない。」
恵 「私はバリスタになるからいいの。」
夏 「まぁ、それはそうか。」
恵 「そうそう。」
夏 「でもさ、いきなり起業は無理でしょ。卒業したらどうすんの?就職?」
恵 「バイトしようかと思って。いろんな飲食店で働いて、
   実践のノウハウを勉強したいんだよね。
   大学の教科書だけじゃ分からない事ばっかりだもん。」
夏 「なんで!?いいじゃん就職すれば。そこでノウハウ勉強すればいいじゃん。」
恵 「いろんな所を比較してみたいの。後腐れなく辞められるのはバイトでしょ。」
夏 「やめときなって。後腐れどころか保険も保障もないんだよ?
   年金だって払わなきゃいけなくなるのに、バイト代だけでどーするのさ。
   生活するのでいっぱいいぱいいで、
   起業資金なんて貯まるわけないでしょ?
   飲食店だって就職できるところがいっぱいあるんだからさ。」
恵 「はぁ。」
夏 「それにさ、大学まで行ってアルバイトはダメでしょ。
   親にはそーしたいって話したの?話してないでしょ!絶対反対されるから。
   お金かけてまで勉強したことをなんで活かそうとしないのよ。
   簿記とかパソ検とか大学で散々とらされたんでしょ?
   それって就職するためでしょ?考えなおしなよ。ね?」
恵 「なんか夏、押しつけがましくなったよね。」
夏 「は?」
恵 「夏の話しを聞いてると、現実のために色々なことを手放して
   あきらめることのが正しいことのように聞こえてくる。」
夏 「誰もあきらめろなんて言ってないでしょ?ちゃんと就職して、お金貯めて、
   自立してから夢を見れば、って言ってるの。」
恵 「就職することがそんなに偉いことかね。」
夏 「あのさ、私たちが今生きてるのは今日なの。
   今日を生きなきゃいけないの。わかる?」
恵 「何が言いたいのよ。」
夏 「現実を見なさいて言ってるの。
   あんたが見てるのは今日じゃなくて明後日ばっかりなのよ。」
恵 「余計なお世話だよ。」
夏 「こんなこと言いたくないけどさ、恵は学生しか経験したことないじゃない。
   現実を知らないじゃない。」

   間。
   昭和の歌謡曲が流れている。

恵 「なっちゃん。明日早いんでしょ?」
夏 「…まぁね。」
恵 「そろそろお開きにしますか。」
夏 「恵。」
恵 「うん?」
夏 「現実は厳しいよ。」
恵 「…うん。」
夏 「すみませーん。お勘定お願いします。」
恵 「…。」
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