幕末girls
時代の流れに翻弄された女
女は、名前を『斉藤きち』と言った。
生まれは尾張の知多であったが、下田へと住居を移し、十四の時に芸者となった。
『お吉、舞ってくれ。いつもの十八番な、お前はアレが一番旨いからな』
『ええ、すぐに』
家を離縁され、芸者になったお吉だったが、芸者の仕事は彼女にとって天職のよ
うなものだった。
しかし、その芸者を辞めなればならない日が来るとは、思っていなかった。
先日、幕府のお役人様がいらっしゃった。
はじめはお客様だとばかり思っていたのだが、どうにも違った。
『ひゅう、すけ?』
『この度、メリケンから総領事としていらした、タウンゼント・ハリス殿が体調を崩し、床に臥せっておる。そこで、通訳のヘンリー・ヒュースケン殿は、『看護婦』なる者をよこして欲しいと仰せなのだ』
『あの、『看護婦』とは?』
『さあな、我らにもよく解らん。おおかた、妾のようなものだと思うが』
『妾』の一言で、お吉は顔色を変えた。
『それはつまり、私に、異人の妾になれと?!』
『そういうことだ。これは幕府からのお達しだ』
『お断りいたします。私には、許婚がおります故』
お吉に、許婚がいるのは事実だった。しかし、幕府も簡単には諦めない。結局、お吉は首を縦に振るしか選択肢はなかった。
しかし、いざハリスの相手をしてみると、役人から聞いたような妾らしい事はする必要がなかった。
『それで、メリケンというのはどのようなお国なのですか?』
『そうですね、日本ではサムライが髷を結っておりますが、我が国では髷は結いません』
『他には?どのような物を食するのですか?』
『お吉サンは、好奇心がオウセイですね。我が国に興味があるのですか?』
『はじめは恐ろしかったのですが…今は色々な話を聞いてみたいです!』
メリケンというのは、なかなかに面白い国だと、お吉は思った。それに、日本の男ではしてくれないような紳士的な振る舞いを、ハリスやヒュースケンは心得ている。そういうのを、『レディーファースト』と言うらしい。この言葉も、ヒュースケンから教わったものだ。
だが、羽振りが良くなっていくお吉に、人々は嫉妬と侮蔑の眼差しを向けるようになった。
それどころか、『お吉はハリスと情を通じているふしだらな女』などという噂まで流れた。
お吉がハリスの看護婦になって三ヶ月後、お吉は解雇されて再び芸者に戻ったが、人々の冷たい視線は変わらず、お吉を傷つけた。そんな傷を、彼女は酒色で無理矢理潤して、己を更に傷つけた。
芸者を辞め、幼なじみの大工である鶴松と横浜で同棲をはじめ、その三年後には下田に戻って、髪結業を営み始めた。しかし、いまだに偏見は消えないままだった。
『オイ、酒ばっかり飲みやがって。いい加減にしろよ!!』
『アンタに何が解るのよ?!異人と根も葉もない噂の種にされて、ふしだらな女だなんて言われた私の気持ちが、アンタに解るのかい?!』
『なんだと?女の分際で生意気な口を!!』
結局、鶴松とも別れ、芸者業に戻り三島を経て再び下田に戻った。
『そうか、大変だったな…』
『ええ、どうせ男のアンタには解んないだろうけど』
『…‥なぁ、俺なら少しだが、手助け出来るからよ、店を持たねえか?』
『店?』
『ああ、荒れたってどうにもならねえよ。まずは手に職をつけねえとな』
そう言ってくれたのは、船主の男だった。久しぶりに触れることの出来た、『人の優しさ』というものに、お吉は素直に甘えた。
しかし、既にお吉の身体は、酒を欲さずにはいられない身体になっていた。そのため、店は二年あまりで廃業となった。
お吉はその後、物乞いを続けた。
しかし、明治になってその身を稲生沢川へ投じて、自らの命を絶った。
『あんな女、ほっとけよ』
『汚らわしい』
『やだやだ、近寄っちゃ駄目よ』
お吉は、死んでからさえも、人々から蔑まれた。
『なんと哀れな‥‥』
しかし、ひとりの住職が、お吉に哀れに想い、境内の一角に葬った。だが、そんな住職さえも、人々は迫害した。
『あんな汚らわしい女を葬るなんて!』
『この生臭坊主、お前なんか坊主じゃねえ!!』
『出てけ、出てけ!!』
この時の日本は、とっくに時代は変わり、日本は富国強兵への道を着実に歩んでいた。
そんな時代になっても、偏見が止むことがなかったお吉。
彼女の苦しみと悲しみに満ちた人生は、色褪せることなく、女性として生まれた故、翻弄される悲しみを語り継いでいる。
生まれは尾張の知多であったが、下田へと住居を移し、十四の時に芸者となった。
『お吉、舞ってくれ。いつもの十八番な、お前はアレが一番旨いからな』
『ええ、すぐに』
家を離縁され、芸者になったお吉だったが、芸者の仕事は彼女にとって天職のよ
うなものだった。
しかし、その芸者を辞めなればならない日が来るとは、思っていなかった。
先日、幕府のお役人様がいらっしゃった。
はじめはお客様だとばかり思っていたのだが、どうにも違った。
『ひゅう、すけ?』
『この度、メリケンから総領事としていらした、タウンゼント・ハリス殿が体調を崩し、床に臥せっておる。そこで、通訳のヘンリー・ヒュースケン殿は、『看護婦』なる者をよこして欲しいと仰せなのだ』
『あの、『看護婦』とは?』
『さあな、我らにもよく解らん。おおかた、妾のようなものだと思うが』
『妾』の一言で、お吉は顔色を変えた。
『それはつまり、私に、異人の妾になれと?!』
『そういうことだ。これは幕府からのお達しだ』
『お断りいたします。私には、許婚がおります故』
お吉に、許婚がいるのは事実だった。しかし、幕府も簡単には諦めない。結局、お吉は首を縦に振るしか選択肢はなかった。
しかし、いざハリスの相手をしてみると、役人から聞いたような妾らしい事はする必要がなかった。
『それで、メリケンというのはどのようなお国なのですか?』
『そうですね、日本ではサムライが髷を結っておりますが、我が国では髷は結いません』
『他には?どのような物を食するのですか?』
『お吉サンは、好奇心がオウセイですね。我が国に興味があるのですか?』
『はじめは恐ろしかったのですが…今は色々な話を聞いてみたいです!』
メリケンというのは、なかなかに面白い国だと、お吉は思った。それに、日本の男ではしてくれないような紳士的な振る舞いを、ハリスやヒュースケンは心得ている。そういうのを、『レディーファースト』と言うらしい。この言葉も、ヒュースケンから教わったものだ。
だが、羽振りが良くなっていくお吉に、人々は嫉妬と侮蔑の眼差しを向けるようになった。
それどころか、『お吉はハリスと情を通じているふしだらな女』などという噂まで流れた。
お吉がハリスの看護婦になって三ヶ月後、お吉は解雇されて再び芸者に戻ったが、人々の冷たい視線は変わらず、お吉を傷つけた。そんな傷を、彼女は酒色で無理矢理潤して、己を更に傷つけた。
芸者を辞め、幼なじみの大工である鶴松と横浜で同棲をはじめ、その三年後には下田に戻って、髪結業を営み始めた。しかし、いまだに偏見は消えないままだった。
『オイ、酒ばっかり飲みやがって。いい加減にしろよ!!』
『アンタに何が解るのよ?!異人と根も葉もない噂の種にされて、ふしだらな女だなんて言われた私の気持ちが、アンタに解るのかい?!』
『なんだと?女の分際で生意気な口を!!』
結局、鶴松とも別れ、芸者業に戻り三島を経て再び下田に戻った。
『そうか、大変だったな…』
『ええ、どうせ男のアンタには解んないだろうけど』
『…‥なぁ、俺なら少しだが、手助け出来るからよ、店を持たねえか?』
『店?』
『ああ、荒れたってどうにもならねえよ。まずは手に職をつけねえとな』
そう言ってくれたのは、船主の男だった。久しぶりに触れることの出来た、『人の優しさ』というものに、お吉は素直に甘えた。
しかし、既にお吉の身体は、酒を欲さずにはいられない身体になっていた。そのため、店は二年あまりで廃業となった。
お吉はその後、物乞いを続けた。
しかし、明治になってその身を稲生沢川へ投じて、自らの命を絶った。
『あんな女、ほっとけよ』
『汚らわしい』
『やだやだ、近寄っちゃ駄目よ』
お吉は、死んでからさえも、人々から蔑まれた。
『なんと哀れな‥‥』
しかし、ひとりの住職が、お吉に哀れに想い、境内の一角に葬った。だが、そんな住職さえも、人々は迫害した。
『あんな汚らわしい女を葬るなんて!』
『この生臭坊主、お前なんか坊主じゃねえ!!』
『出てけ、出てけ!!』
この時の日本は、とっくに時代は変わり、日本は富国強兵への道を着実に歩んでいた。
そんな時代になっても、偏見が止むことがなかったお吉。
彼女の苦しみと悲しみに満ちた人生は、色褪せることなく、女性として生まれた故、翻弄される悲しみを語り継いでいる。