幕末girls
公武のはざまで生きた女
─私は徳川の女なのだ─

和宮は、その言葉を心に刻んでいた。

『和宮様はお高くとまっている』

この城で奥女中に囁かれることも、慣れてしまったが、それでも腹が立つ。

─公武合体─

幕府と朝廷が、協力して政を行うための政略結婚のため、和宮は婚約者との婚約まで解消させられた。
多くの夷狄がいる東になんて、行きたくなかった。京から離れる人生なんて、考えられない。

『足袋を履かぬとはどう言うことですか』
『御所では、いつもこうしておりました故』
『ここは大奥でしょう。すぐに履きなさい』
『履きませぬ。ここでの生活は、万事御所風のお約束でございましょう?』
『徳川に嫁いだのですから、徳川のしきたりに従いなさい!』

その上、姑の天障院は何かと『徳川のしきたり』と和宮に難癖をつけてくる。徳川に嫁ぐ時に、『徳川での生活は、万事御所風にするように』という約束で嫁いできたのに、こんな屈辱堪えられない。

和宮が怒りに堪えられなくなりそうなとき、和宮を癒してくれたのは夫である徳川家茂だった。

『辛い思いをさせてすまぬな…だが、余は宮のことを愛している』
『家茂様…』

優しく包み込むように和宮の身体を抱き締める家茂が、いとおしかった。
はじめのうちは、『誰がこんな男を好きになるものか』と思っていたのに、いつの間にか惹かれていた。

─この方も、私と同じ政のための駒なのだ─

そう思うと、夫婦として仲睦まじく生きていこうと努力できた。
政治的使命を持つ家茂を支えようと、頑なになった心を解きほぐす事が出来た。

『和宮様、些か根を詰め過ぎなのでは…?』
『家茂様の為、これくらい何でもない』

何度も上洛をしている家茂が、無事に帰ってくるように祈って、お百度参りをした。

日の本の泰平のために動いてくれる家茂なら、きっと美しい日の本を取り戻してくれる。

─家茂様が帰ってきたら、何からお話ししようかしら。この前見た、美しい花のことをお話ししたい。あっ、でも‥‥昨夜見た、家茂様が出てきた夢のことをお話するのも良いかもしれない─

家茂が帰る日を指折り数えて、待ち続けた。

しかし、家茂が帰ってくることはなかった。

『家茂様が‥‥お隠れに…なった‥‥?』
『はい‥‥大坂にて、お倒れになられたまま…』

侍女が泣きながら死因などを伝えたが、和宮には聞こえていなかった。

『家茂様…家茂様…いやぁぁぁぁぁ!!』

和宮は、一目もはばからずに大泣きした。

降嫁するときも泣いた。

でも、

今ほどの涙は流れなかった。

きっとこの先も、今ほどの涙が流れることは無いだろう、

──空蝉の 唐織ころも なにかせん 綾も錦も きみありてこそ──

自分が堪え、自分の生き方を見つけることができたのも『きみありてこそ』だったのに‥‥

これからどう生きれば良いのだろう…

家茂から贈られた金魚を眺めながら、ずっと考えた。

それから、ぼんやりとした日々を生きた。

家茂様は、私がどうやって生きることを望んでいたのだろうか…

考えても、考えても、答えにはたどり着かない。

しかしある時、和宮の瞳に光が戻るときがやってきた。

『西郷が‥‥?』
『はい、江戸が…火の海になるかもしれぬと‥‥』

家茂亡き後の幕府は、更なる凋落を余儀なくされた。先の戦では、新政府軍が官軍となり、旧幕府軍は賊軍扱いされている。

『硯を…文を書く』
『はい‥‥』

─家茂様が眠る江戸の地を、火の海にしてなるものか。私は、徳川の女なのだ─

愛した人の魂を護るため、和宮は動き始めた。

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