幕末girls
魂を護った女
『此の糸』がその人と会ったのは初夏の頃だった。

『お前には卯の花が似合うな。真っ白い花は全部お前みたいだ』

どこでなにをしている人なのか、よく解らない人だった。

ざんぎり頭で、いつも自前の三味線を持ってる。変わった侍だということは此の糸でも解ったが、今ひとつ掴み所のない男で、一言でまとめれば『雲』だった。
だから、この男が自分を身請けすると言い出したときも、別段本気にしなかった。
芸妓に冗談を言う侍はたくさんいる。それをいちいち本気にしてはきりがない。

『‥…』
『そんなに黙り込むな。お前は俺が身請けしたんだ。もう自由なんだぞ?』

別に不満だったわけではない。
ただ、この男が本気で自分を身請けするとは思わなかったため、身請けされた後でさえ、身請けされたという実感に乏しく、何とも言えない感情しか無かったのだ。

『お前、真名は何と言うんだ?これからは真名で呼んでやらないとな』
『‥…忘れました』

幼い頃に芸妓になった『此の糸』は、自分の真名を忘れていた。

『そうか…それは困ったな…‥』

苦笑しながら、男は頭を掻く。すると、卯の花が目について、『そうだ』と声を上げた。

『お前は今日から「おうの」だ』
『お、うの…?』
『ああ、言っただろう。白い花は全部お前みたいだ、って』

そう言って、男は少年のような笑顔を見せた。

『‥…』
『ほら、おうのも笑え!笑わないとおもしろくないぞ!!』

無理やりおうのの顔を笑顔に変えようと、おうののほっぺを引っ張る。

『いたい‥…』
『そうかそうか、それならほれッ!』

そう言って、男はおうのの身体にくすぐり攻撃を浴びせた。

『ちょっ…やっ、アハハハ…!』
『おっ、やっと笑ったな!』

おうのの笑顔につられたように、男はさらに輝かしい笑顔を見せる。

思えば、この時からおうのは惚れていたのかもしれない。

身請けされてからの生活は、寂しさと愛おしさが交互にやってくる生活だった。

男は、長州藩の仕事で忙しいらしく、毎日逢うのは当然無理。男の知り合いの商人に預けられて、ひとりの生活をする事もあった。

暇さえ出来れば男はやってきて、おうのに甘えたし、おうのを甘やかした。

『あー…気持ちいいな…‥おうのの膝枕…』
『そんなに気持ちいいのですか?』
『あぁ…ちょうど良いんだよ…‥肉付きが‥…』
『そうなのですか‥‥』

相変わらず男のことはよく解らなかったが、芸妓だった頃と違って、男をいとおしく想う気持ちがあった。

一緒にいるだけで心地いい‥…これが夫婦というものだろうか…

そう思っていた。
しかし、男には妻と子供がいた。これを知ったのは、男の妻と子供と出会った時で、俗に言う『修羅場』という雰囲気になってしまった。
これには傷ついたが、考えてみれば合点がいった。男は、おうのの事を『妻』と公表していなかったし、おうの自身、自分は妻らしいことをしていないな。と振り返ったからだ。

『おうの…すまん…』
『いえ‥‥気にしてませんから…』

本当に気にしていないのに、男は何度もおうのに謝った。きっとこの男のことだから、本当の妻にもこんな感じで謝ったのだろうと、おうのは察する。

『ごめんな…』

男はそう言いながら、おうのの身体を抱き締めた。

『気にしてませんよ…?』
『すまん…』

何を言っても『すまん』しか言えなくなっている男に、おうのは些か対応に困った。しかし、こういう時は受け止めるしかないと思い、男の身体を抱き締めた。

『‥…よしよし…』

泣いている子供をあやすように、男の頭を撫でた。すると男の口から、嗚咽の声が聞こえた。

『‥…寂しいのですか…?』
『…あぁ‥‥』

男はおうのの胸で涙を流した。
『笑え』と豪快に笑っていたあの笑顔は跡形もなく、幼い子供のように泣いていた。

『‥…よしよし‥‥』

おうのは、男の涙を受け止めることしか出来なかった。しかし、それだけでも男は癒された。

『‥…ありがとうな…』
『…いえ…‥』

男は泣き止むと、あの笑顔を見せた。
それにつられたように、おうのも微笑んだ。

『愛してるぞ、おうの』
『私も…晋作様を、愛してます‥…』

二人の言の葉が、魂となって漂った。


< 3 / 3 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

 恋歌─れんか─
おうの/著

総文字数/736

詩・短歌・俳句・川柳2ページ

表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop