祭囃子の夜に

「あらっ! 翔一! どうしたのあんた!」

 玄関を開けると、台所から迎えに出てきた母――三重子がそれは驚いた様子で目をまん丸く見開いた。明朗活発が取り柄の三重子は、相変わらず良く通る大きな声で何よどうしたのよと繰り返す。

「いや、ちょっと、里帰り……」

 咄嗟に思いつく適当な理由もなかったので、あかねに返した時と同じように曖昧に答えた。

 ――オワッタ。
 自分の返した言葉に嫌でもそう感じざるを得なかった。
 すぐにでも家族会議が開かれるに違いない。

「あらなに、そうなの?」

 しかし、返って来た反応は思っていたのとは全く違うものだった。ごく自然に翔一の苦しい言い分を聞き入れた様子で、まぁ重いでしょうと持っていたバッグを受け取り、あら思ったより軽いのねと肩に掛ける。

「あれ、あかね居たの?」

 玄関土間とあまり高低差の無い上がり框に腰掛け、うずくまる様に足袋の金具を外していたあかねが目に入らなかったらしい。確かにあかねの声でただいまと宣言したはずが、明朗活発な母は少々そそっかしい所が欠点だ。その欠点は、あかねがどっしり構えて補っているので調整が取れている訳だが。

「駅前通ったら歩いてたから乗せてきた」

 よっこらせ、と立ち上がり、足袋を端に寄せながらあかねが言う。

「……ほら、ただいまくらい言いな」

 コツリと五分刈りの頭を小突かれた。力加減が優しいのは、仲直りの印だ。喧嘩は長引かせず、謝らなくともいつの間にかこうして何も無かったように口をきいてくれる。
 あかねとは反対に少々棘立っていた翔一は、無性にいたたまれない気持ちになった。

「ただいま……」

 どうにか声に出したという様子でぼそりと言葉にする。おかえり、と笑顔の三重子に、返す表情は後ろめたさでぎこちない。
 あかねの様子をちらりと見遣ると、やはりいつもの視線でこちらを見据えていた。そういえば、あかねにもまだただいまを言っていなかったとこちらも今更ながら気付く。

「……ただいま」

 どこかいたたまれなさそうで、そして気恥ずかしそうな弟に、あかねは口の端を少しだけ持ち上げて笑顔を作った。

「お帰り。でも挨拶が遅い」

 どうにもこの姉には敵わない。そして、やっぱりちょっと怖いなと思った。

「……で、アレは何やってんの」

 何かに気付いたあかねが、前方をあごでしゃくって溜め息交じりに三重子に訊ねた。玄関から伸びる廊下の先、居間の襖を少しだけ開けて、誰かがこちらの様子を窺っている。どうやらあかねにはその人物が誰であるかも見当が付いているようだ。

「あ、そうだ! てっちゃん来てるのよ、翔一にびっくりして忘れてたわ! てっちゃーん!」

 からからと笑ってあかねの肩をぱんぱん叩きながら、三重子が大声で居間に向かって叫ぶ。てっちゃんという呼び名に、反射的に翔一の身体が強張った。

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