祭囃子の夜に
少年の質問に、鼓動が少しだけ早くなるのが解った。
どう答えてやるべきだろうか。楽しいよ、と嘘でもそう言ってやるべきだろうか。
悩んで答えを逡巡していると、少年は翔一の様子を伺いながら言葉を続けた。
「僕は、楽しくないんだ。ぜんぜん上手くならなくて……。みんなに追いこされてさ……」
「それで、泣いてたのか」
こくりと頷く少年の頭を、翔一は再びわしゃりと撫でつけた。
小学三年の、野球が上手くならないと泣いていた自分が鮮やかに蘇る。この少年は、あの時の自分とまるっきり同じだ。
そしてきっと、今の自分とも。
「そうだよな。悔しいよな、頑張ってるのにさ……。認めてもらえないなら、辞めちゃいたいよな」
ある種の仲間意識と親近感が芽生えて出てきた言葉は、子供に語り掛けるには卑屈に満ちている。
言葉にした後にそれに気付いて、しまったと少年の顔色を窺った。
「うん……」
しかし少年は、翔一の言葉をそのまま受け止めてこくりと頷く。
自分の口から出た卑屈さを悟られてはいない様子に、ほっと胸を撫で下ろした。
「でも、父ちゃんが言うんだ」
「なんて?」
「野球辞めちゃダメだって。好きなものを辞めたら後悔するって」
少年の言葉に、びくりと心臓が跳ねる。
いいか、翔一。好きなものを辞めたら後悔するぞ。嫌いだなんて自分に嘘をついたら、絶対に後悔する。
いつか父親に言われた言葉が、その時のまま蘇った。
「そっか……」
それから先の言葉が続かない。
自分は、逃げた。
ピッチャーから外され、コンバートされたレフトも振るわず、野球なんか楽しくないと言って逃げてきた。
少年に掛けてやる言葉がどうしても見つからなかった。
「もっと練習すれば、上手くなるのかな? 野球、楽しくなるのかな?」
問いかける少年は、翔一の言葉を待っている。
ややあって、翔一は口を開いた。
「野球、好きか?」
「……うん」
少年は頷くと、しっかりと翔一の瞳を見つめて答えた。
「今は楽しくないけど、でも好きなんだ。野球」
野球が好きだと答える少年の瞳には、先ほどまで泣いていたとは思えないほど強い光が差している。
野球が好きなら。好きだと胸を張って言えるなら――辞めちゃいけない。
「……俺もな、お前くらいの頃、どうして野球うまくならないんだよーってイライラして、同じように泣いたことあんだ」
「お兄ちゃんも?」
「うん。でもさ、野球好きなら頑張って続けなきゃ絶対後悔するよ。いっぱい練習してさ」
「練習、すれば上手くなる?」
「上手くなるよ。俺だって、いっぱい練習して、いっぱい努力して……」
そこまで言って、口を噤んだ。
俺だって、いっぱい練習して、いっぱい努力して。
一体どの口がそんな事を言えるのか。
自分が高校で一体何をしていたと言うのだ。
周りにどんどん追い越されて、ただ腐っているばかりだった。
『地元では』力があったと、奢っていた。
皆それぞれ努力をしていたのではないか。与えられた場所でやるべきことをこなしながら、それ以上に努力をしていたのではなかったか。