祭囃子の夜に
ピッチャーのポジションに、自分よりも力のある選手が居るだろうという事は解っていたはずだった。
それでも、奢っていたのだ。
自分は出来るとたかを括っていた。
入学当初はそれでも凌げていたのに、徐々にポジションを追われたのはどうしてだ。答えは一つしかない。
他の選手が努力をしていたからだ。
自分はきっと、それを見ないようにしていた。
自主練もそれとなくやっているフリをしては、出来ない、上達しないとふて腐れていた。
コンバートされた選手など山ほどいる。
それでも皆は、そのポジションでレギュラーになろうと頑張っていたのだ。
それもきっと解っていた。
解っていて、見ないフリをして、野球なんか楽しくないと理由をつけて――そして好きなことから逃げ出した。
「お兄ちゃん。僕、いっぱい練習するよ。野球、好きだから」
「そうだよな、うん。そうだよ」
結局、やっぱり好きなのだ、野球が。
父親もきっとそうだっただろう。心底野球が好きだったはずだ。
だからこそ、高校も続けていればと後悔していた。
そして幼い翔一に、好きなことから逃げるなと強く言って聞かせていたのだ。
テツもそうだ。
嫌々だった仕事を熱心にこなすようになったのは、きっと仕事が好きになったからだ。
テツはそれに気付いて、向き合った。
あれこれ理由を付けて逃げた自分が、殊更恥ずかしくて、情けなくなった。
「……お兄ちゃん?」
心配そうに覗きこまれ、自分が泣いている事に気付いた。
静かに頬を伝う涙をぐいと拭って、翔一は立ち上がった。
「頑張ろうな、野球」
「うん!」
力強く返事を返した少年が、あっと小さく声を出して、足元に転がっていたボールを拾い上げ、翔一に差し出した。
「あのね、これ、お礼。ありがとう、お兄ちゃん」
受け取ったボールは汚れていて、よく練習していることを窺わせる。どこか懐かしいボールだった。
「ありがとな」
柿色から瑠璃色に変わり始めた空を見上げ、翔一は少年の背中をぽんと叩いた。
「さ、もう暗くなるから家帰れ。今日は時例祭だからな。きっと夕飯はごちそうだぞ」
言って少年の肩に手を置いたその時、背後から男の声が聞こえてきた。
「翔一!」
その声は、記憶の奥に薄らぎつつある、しかし聞き覚えのある声だった。
心臓がびくりと跳ねて大きく脈打つ。
「父ちゃ……!?」
半ば叫ぶように声に出しながら振り向くと、また路地の奥から風車が勢いよく回り始めた。
突風は、やはり瞬く間に翔一と少年の立つ場所まで到達し、吹き抜けてゆく。
自分と同じ名前を呼んだ声の持ち主を確認しようと目を凝らすが、強い風で思わず目を閉じる。
風車の回る音は、どうしてか遠ざかって行くように聞こえた。