祭囃子の夜に

「……あれ……?」

 うっすらと目を開けると、そこは神社の境内に設けられた神楽殿の前だった。

 どうやら自分は大勢の人が集まる中腹に佇んでいるらしい。

 荘厳な神楽の雅楽と、巫女が鳴らす鈴の音だけが聞こえてくる。

 神楽殿の舞台では、巫女の衣装に身を包んだ結衣が軽やかに舞っていた。

 その姿はまるで別人のように美しくて、これが神がかりと言うものなのかなとぼんやりと考える。


 ついさっきまで、確か路地に居たのではなかったか。

 少年と話をして、男の人の――父ちゃんみたいな声が自分の名前を呼んで。

 いつの間にここへ来たのだろうか。


 疑問ばかりが頭を埋めて、考えれば考えるほど思考回路がこんがらがる。

 夢だったのかと無意識に右手を額にやろうとして、その感触にびくりと身体が震えた。

 手の中に、汚れた、よく使われた軟式ボールが握られていた。


 あの少年と出会った事は、確かに現実だったのだ。


 神秘的に舞う結衣の姿をぼんやりと視界に映しながら、翔一はしばらく不思議な感覚に捉われていた。



「しょうちゃん?」

 名前を呼ばれ、はっと視界の靄が解けていく。

 辺りを見回すと、既に神楽舞は終了しており、祭りの終わりを告げる太鼓囃が鳴っていた。

 神楽殿の前にはもう翔一しか立っておらず、ぼうっと佇む翔一に気付いた結衣が心配して声を掛けたのだった。

「大丈夫? なんか変だけど……。あ、私の舞い、おかしかった!?」

 きゃーどうしよう間違えたかなと慌てる結衣に、翔一は首を振った。

「いや、綺麗だったよ。多分」
「多分て何!」

 夢現の気分で詳細を覚えておらず、正直に述べた感想は、結衣の頬を盛大に膨らませた。

「ごめん。綺麗だった」

 いつになく素直な翔一に、結衣が驚いたように瞳を丸くした。

 そして、再び心配そうに眉が下がる。

「しょうちゃん……。やっぱり、悩んでるんでしょ」
「何だよ」

 おずおずと、結衣は言い辛そうに口を開いた。

「しょうちゃん、野球部辞めてきたんでしょ?」
「……やっぱりな。知ってたのか」

 落ち着いた様子の翔一に、結衣はごめんねと小さく呟いた。

「ホントはね、あかねちゃんに野球の事、言っちゃダメって言われたんだけど……」
「ねぇちゃんもか……」

 あかねには見抜かれているような気がしていたのだ。

 どうやら本当に解っていたらしい。という事は、きっと三重子も知っているに違いない。

 それなのに、どうして二人とも何も言わなかったのだろうか。

 肉親にまで見放されたのか。

 仕方ない、自業自得だと自嘲が漏れたが、結衣の言葉に卑屈な笑みはかき消された。

「あかねちゃんね、きっとすぐに戻るって言うからって。自分で気づかなきゃダメなんだって言ってたよ」
「……え?」
「野球が好きで仕方がないって、きっとすぐ気付くだろうからって」

 結衣は瞳を潤ませながら、一生懸命言葉を紡ぐ。

「おばさんはね、今日、しょうちゃんの高校行ってたんだって。監督さんと話するんだって言ってた」


 ――ああ。


 言われ、三重子の不自然な態度に合点がいった。

 ビールなど、本当は買いに行く必要は無かったのだ。

 きちんと用意していたものをわざわざ隠して。

 自分に悟られまいと、要らない用事を作って出かけて行ったのだ。

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