祭囃子の夜に
 左官業を営む松岡家は翔一が小学五年の時に父親を亡くし、それ以降は残された従業員を母親が纏める形で経営を続けていたが、しばらくしてあかねが父親の後を継いだ。

 あかねは中学の頃から「あたしが父ちゃんの後を継ぐ。どうせ翔一は野球しかやらないんだから」と腹に決めていたようで、その頃から何かと現場の手伝いもしていたし、高校を卒業してからはすぐに父親の下について現場をこなしていたので後を継ぐにあたりさほどの混乱は無かった。

 元来男勝りな性格も手伝って、今では従業員からも顔馴染みの職人からも「ねぇさん」と呼ばれ恐れられ……親しまれている。

「いや、ちょっと、里帰り……」

 眼光鋭く見据えられ、考える前に苦しい言い訳が口から滑る。

「はぁ? この時期に?」

 怪訝な顔を見せるあかねに、翔一は精一杯のひきつった笑顔を作ってみせた。

 翔一は、この男気の強い姉が少々苦手だ。

 父親が亡くなってからは特に『父代わり』のように振る舞う姉は、翔一の中で恐怖ランクの上位にランキングされている。

「ほら、女二人じゃ何かと心配だし。俺も」
「何ナマ言ってんだ、男にもなってねぇヤツが」

 言われて思わず顔を赤らめてしまうのは、翔一がまだ男女のそれを知らないという事だが、そんなことをあけすけに言ってのけるあかねはやはり何枚も上手だ。

「で? 乗ってくの、乗ってかないの。早くしな」

 言いながら助手席に身を乗り出してロックを解除する。

 乗せて行くことを前提としているその行動からは、息子のような弟には多少甘いのだという事が窺えた。

 密室にあかねと二人という気まずい空間が少しためらわれた。

 数秒考えて、どうせ目的地は同じだと腹を括って助手席に乗り込む。

 ボストンバッグは軽トラの荷台に放り込んだ。

「珍しいね。この時間にこんなとこ居るなんて」

 この密室空間で質問攻めにあっては逃げ場が無い。

 何か切り出される前に先手を打とうと、翔一は当たり障りのない話題をあかねに投げた。

 とは言え、気になった事を訊いたというのは事実なので、これにはやましさは無い。と思っている。

 時間は夜の七時で、あたりは既に暗くなっており、普段ならこの時間には現場から家へ戻っているはずなのだ。

 顔や服にセメントを貼り付けているところからすると、今日が休みであった可能性は低い。

 あかねはうーんと右手でハンドルを回しながら、慣れた手つきで左手でチェンジレバーをトップへ変速した。

 あかねが乗る自動車は、仕事用のオンボロ軽トラも自分のセダンもマニュアルだ。

「テツの奴がドジ踏んでさ。ちょっと抜けて先方に詫び入れてきた帰り」

 あかねの言葉に、ああ、と内心で理解する。

 テツというのは、一年ほど前に松岡左官店に入って来た新入りだ。

 翔一も帰省した際に何度か顔を合わせた事がある。

 髪を金髪に染め上げて、耳にはピアスをいくつもくっつけたいかにもやんちゃそうな青年で、歳は翔一の二つ上だという。

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