22年前のワシントンDC高校生
4.
さて、旅行当日である。
当時、大阪にはまだ伊丹空港しか存在せず、海外に渡航するときは、伊丹から羽田空港に飛び、空港間バスを利用して成田空港からいよいよ海外に出られる、という長時間の旅であった。
伊丹空港で見送りにきてくれた母と、友人のお母さまに別れを告げ、高校生二人ぽっちである。
ここへきて、また前日と同じ武者震いがはじまった。
搭乗口へ向かう時、友人Kちゃんも、同じように震えていることに気がついた。
「怖い?」
「怖いよ~」
ふたりで、自然と手を取り合った。興奮で搭乗口までの道のりを、全速力で走ったものだった。
いよいよ、ボーディング。
しっかり握った友人の手がまだまだ離せない。
飛行機の中で、座席に座ると、心臓は口から飛び出しそうなほど、ばくばく鳴っている。
そして、フライト。
はじめての空の旅。
この時に心臓に響いたジェット音は、その後22年間、世界一周も含めて、数えきれないほど旅をしてきた今でも、聞くたびにあの興奮を思いだす。
当時、大阪にはまだ伊丹空港しか存在せず、海外に渡航するときは、伊丹から羽田空港に飛び、空港間バスを利用して成田空港からいよいよ海外に出られる、という長時間の旅であった。
伊丹空港で見送りにきてくれた母と、友人のお母さまに別れを告げ、高校生二人ぽっちである。
ここへきて、また前日と同じ武者震いがはじまった。
搭乗口へ向かう時、友人Kちゃんも、同じように震えていることに気がついた。
「怖い?」
「怖いよ~」
ふたりで、自然と手を取り合った。興奮で搭乗口までの道のりを、全速力で走ったものだった。
いよいよ、ボーディング。
しっかり握った友人の手がまだまだ離せない。
飛行機の中で、座席に座ると、心臓は口から飛び出しそうなほど、ばくばく鳴っている。
そして、フライト。
はじめての空の旅。
この時に心臓に響いたジェット音は、その後22年間、世界一周も含めて、数えきれないほど旅をしてきた今でも、聞くたびにあの興奮を思いだす。