男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「確かに、【コンピューターを日常的に使うことがなかった世代】の我々には専門用語は耳馴染みなく難しい。姫野さんのように“向き合ってくれそうな女性”が居れば…“機械を使うことが難しいと思っている人たち”のハードルも下げられる。間違いなく、【重宝される人材】でしょうね。……そうだね。皆川さんの理論で言えば、“姫野さん”への発言は佐久間くんに向けても言えることになってしまう。同僚に対して、あなたはそんな風に思っていたのかい?」

「いえ、院長先生。そんなことは…。」

フッ、効いてるな。
【この手のこと】で俺に勝とうなんて…百万年早いんだよ、皆川。

「院長、共感していただきありがとうございます。“姫野”も嬉しいことでしょう。」

そう言って姫野さんに視線を投げれば、彼女は心底嬉しそうに…目を細めて口角もキュッと上げていた。

「私は、“姫野”と津田の【仕事に対しての姿勢】を高く評価しています。津田は今年の新卒ですが、この2週間ほどですでに私も含めて、観月や桜葉たち【先輩】に可愛がられています。そして、先ほどは院長が『津田くんは元気があっていいね!』と褒めておりました。彼は、素直に…真面目に、人の言うことに耳を傾けて今必要なスキルを吸収しています。そんなところが【先輩】に可愛がられ、営業先でも評価をいただける要因でしょう。」

「本条課長……。」

津田、【歓喜】がダダ漏れだ。せめて姫野さんぐらいには抑えとけ。

「それから。“姫野”は〔営業部〕としては新人ですが、入社5年目になる【中堅】ポジションの人間です。加えて、彼女はこの3月まで〔秘書課〕に籍を置き、重役のサポートをしていた身です。」

「重役秘書!?」

皆川を筆頭に、看護師さんたちは驚きの声を上げていた。

やはり皆川は【肩書き】を出すと、顔色を変えるタイプのようだ。そして雰囲気からして、寿も大差ないだろう。

………浅はかだな。

「そう、重役秘書です。ここで皆さんに考えていただきたい。重役秘書ということは…業務上、相手となるのは自社や他社の重役と…重要書類です。ですから、仕事を(おろそ)かにするなど…他の部署でも許されることではありませんが、なおのこと許されないと思いませんか?そんな中で業務をこなしてきた彼女です。正確で丁寧…なおかつ迅速に仕事してくれます。ちなみに。彼女の異動を私が申し出る際には、重役や他の秘書たち全員に『手放すのが惜しい。』と言われたほどです。それに。そもそも外勤に出せるな、出して恥ずかしくないなと思った人間しか…私は営業先に行かせません。」

「……。」

反論すらできないらしいな、さぁ…【仕上げ】といこうか。

「ここまでお伝えしてもご納得していただけないなら、今から彼女に私のサポートに入ってもらって…実践しますからご覧になって下さい。それから、もう一つ…。今回のグレースクリーンはコンピューターウィルスが原因ではありませんでしたから判明した後もゆっくりとこんな話をしておりますが、ウィルスが原因だった場合はこんなことをしている暇はありません。【ウィルス対策業務】は医療現場で言えば【救命救急】です。ものの数秒でPCの内部データが破壊されたり、うまく作動しなくなっていく。これを人命に置き換えてみて下さい。」

そんな風に伝えると…みんな救急対応時のことが脳裏をよぎったらしく、場に緊迫したような空気が流れる。

最初から、その【緊張感のある表情(かお)】を見せていたり仕事に対して誠実だったなら…俺や父さんの怒りを買わずに済んだのにな、皆川?

「コンピューターがウィルス感染したらどれほど緊急性の高い状況になるのか…ご理解いただけましたか?……『PCは壊れても替えがきく。』そう思われるかもしれませんが…決して安い買い物ではありません。それに病院や銀行などの【企業用】なら、システム全体が問題なく作動するよう…それ相応の設定も必要です。物品の購入や、我々“業者の人間”を呼ぶのはタダではありません。経費がかかっていることをお忘れなく。病院に無駄な資金を使わせると、後々皆様の給与にもしわ寄せがくるかもしれませんよ。」

「すみませんでした…。」

まだ渋々って感じじゃねぇか、そんなものは【謝罪】とは言わない。
そんな状況の中で、ふと姫野さんに視線を移せば…切なげに微笑んで首を横に振って俺に【意思】を伝えてくる彼女と目が合う。

そんな【諦めたような表情(かお)】するんじゃない。

"【謝罪】なんていいです。"と訴えたいんだろう?
だがな、それでまかり通らないのが社会ってもんだ。
俺が許したとしても…父さんが許さないだろうな、そんな態度は…。

「やっぱり“本条課長”は弁が達ね、見事だ。……おや?皆川さん、【謝罪】がなってないね。“彼”がこんなに分かりやすく伝えてくれているのにまだ【事の重大さ】に気づいていないのだね。あなたがしたことは【子供のイタズラ】レベルの話ではない…彼らに対しての【営業妨害】だ、訴えられても文句は言えないんだよ?それに我々大人がする【謝罪】には反省はもちろん…【再発防止を約束する】という大きな意味がある。口先だけの【謝罪】など意味がないし、それができないなら社会人失格だ。今日は【勧告】にとどめておくけど、二度目は無いよ。…いいね?」

「っ!……姫野さん、すみませんでした。」

「いえ…。」

まだ表情を曇らせてるな…。
おそらく、俺が感じているように姫野さんも今の【謝罪】が本心からの言葉ではないと思ったんだろう。

その、「いえ…。」の先を言ってしまえば楽になるだろうに…。
言いたいことを、そんなに呑み込まなくていいんだぞ?

そうは思うものの、その理由を言及してよいものか分からなかった俺は…父さんの顔を見た。
すると父さんは…首を横に振った後、まるで【伝えたいこと】があるかのように、一瞬【憂いを含んだ笑み】を向けてきた。

今は聞くなってことか……。

皆川がこれ以上【この場】で責められることがないように情をかけたか、彼女以外の人間に気を遣って言葉を胸の内に留めたかどちらかだろうが……優しすぎる。

よく気が回り、他人の気持ちも()み取れるほど繊細なのはあなたの長所ではあるが――。
それが短所になることがあるのも、また事実だろう。

内面的に…どこか危うく(もろ)い一面があるあなたと関わるようになって、それを目の当たりにする度…俺は自分の【無力さ】を痛感し、やるせなくなる。

俺の…今の“上司”という立場で、物理的に【寄り添う】のが難しいのは分かっているが……それでも"何か俺にできることはないのか?"なんてことは考えてしまうんだ。

強引にアプローチはしないが、あなたを想うぐらいは許してくれないか…?


帰りの車中で……リフレッシュしような。


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