男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「もちろん大丈夫よ、姫野さん。」

「何かあるようですね。僕も大丈夫なので、続けて下さい。」

「はい。お時間を頂戴して申し訳ございませんが、皆様もう少々お付き合い下さいませ。…ご説明します。本条課長と鳴海部長と工藤さんは、私の前方3m先で私と向かい合う形で立ってて下さい。そして柚ちゃんと立花さんは私の後方2m先で待機しててほしいです。」

「あっ、分かった。姫ちゃん、了解したよ。いつでも受け止めるからね。」

なるほど、そういうことか。
相変わらず努力家だな。

「工藤、俺と立ち位置代わろう。お前が姫野さんの正面に居た方が良い。」

「あぁ、なるほど。相変わらず頑張り屋ですね。」

「あぁ、そういうことね…。ホント見習わなくちゃいけないわね。姫野さん、怖かったら後ろへ走って逃げてきていいからね?私と鈴原さんで絶対受け止めてあげる、安心して任せて!」

「ありがとうございます、立花さん。心強いです。」

部長と立花さんも姫野さんのやりたいことを理解したようで、指定があった場所にスタンバイした。

「それじゃ。本条くん、姫野さんと工藤くんへの声かけ任せるよ。」

はいはい、分かりましたよ。

「じゃあ、姫野さん。今から、工藤が徐々にあなたに近づいていく。もちろん、怖かったら逃げていい…逃げていいからな。…この前は1mずつだったが、今日は50cmずつにしてみようか。」

「お気遣いありがとうございます。はい、50cmずつ…ありがたいです。」

姫野さんが、安心したように微笑む。

「じゃあ、工藤。姫野さんの希望通り徐々に距離を縮めていってくれ。」

「分かりました。ひとまず50cmでしたね。」

「姫野さん。工藤は男性だが、俺や鳴海部長と同じく…あなたの味方だ。近づいても姫野さんに危害を加えることは絶対にしないし、拒否すればちゃんと止める…安心していい。」

「なるほど。男性に慣れてもらうために、こんな風に距離を徐々に縮めていくようにしているんですね。」

工藤が2歩足を進めたら、姫野さんが半歩下がっていた。

「…あ、れ?どうして?工藤さんなのに…大丈夫だって分かってるのに…。」

「姫野さん、止めるか?」

「いいえ。本条課長、ここで止めちゃダメです。姫ちゃん頑張ってるので。…姫ちゃん、すごいね!工藤さんも本条課長や中瀬先生の時みたいに、走って遠ざけてないもんね。きっと工藤さんのことも頼りにしたいんだね!」

鈴原……。
お前すごいな、恐れ入ったよ。

「姫野さん。ありがとうございます、私のことをそんな風に考えて下さって。頭や体は分かっているのに、気持ちがついていかない、か…。いつかの自分と重なります。とても葛藤されていますよね…今。」

姫野さんの表情(かおつき)が変わったな…安心したか。

「これは私の経験上の話ですが、感情を声に出したり紙に書いたりすると気持ちも頭も整うことがあります。だから口にしてもいいんですよ、"怖い"と。姫野さんの…大切な感情ですから。あなたのことです…おそらく、私が傷つかないかなどを気にして、"怖い"という感情を口にしなかったのでしょう?」

工藤も、傷を抱えてる"経験者"だからな。
あなたの心には…響くんじゃないだろうか、工藤の言葉も。

「…っ!工藤さん、どうして…。」

「私も、今の姫野さんの気持ちと似たような感情が湧き上がってきたことがあるからです。だから私のことは気にしすぎないで下さい。ちなみに、この件に関してのことはまた後日。…ですが、これだけは断言できます。私は姫野さんに、絶対に危害を加えたりしません。安心して下さい。もし安心できないというのであれば、これからしばらくの間…事ある毎に私を呼んで下さい。必ず助けに行きますから。」

「工藤さん……。」

「私を信用してもらうための一環として、この2日間観月とともにあなたの(そば)に居ますよ。それから。“本条課長が居ない時に頼る人間”として認識しておいていただいても構いませんからね。」

そんな言葉を投げかけながら、工藤は姫野さんとの距離を上手く詰めていく。

「…っ!…っ!ありがとう、ございます。工藤さんっ!…ただ、条件反射的にっ…避けてしまう反応が出てしまう、かもしれませんが慣れるように頑張る、ので…少しお時間を…。ごめんなさいっ、泣くつもりじゃ…。」

ハァ。好きな女の涙を見る度に、"やっぱり泣き顔がキレイだ"なんて、そこに惹かれていく俺も…どうかしてるな。

「えぇ。もちろんですよ、姫野さん。私のことはゆっくり慣れていって下さい。待ってますから。それに…。いいんですよ、泣いて。感情が出せないより、ずっといい……。」

工藤……。

「さて。姫野さん、気持ちが落ち着いてからで構わないので…私と握手できそうですか?」

「…グスン…っ、えっ?」

「姫野さん。あなた、手に触れられるのは比較的に大丈夫なのでは?…違っていたのなら、申し訳ないですが――。」

「いえ、合っています。…グスン…っ!でも、どうしてお分かりになったのですか?本条課長から事前情報として何か?」

少し涙声でそんなことを言いつつ、こちらに視線を投げてきた姫野さんに、俺は口角を上げてこう返した。

「いや…違うな、姫野さん。あなたのプライベートな情報を、俺は工藤に一切渡していない。『工藤の観察の賜物(たまもの)』とでも言うべきだろうな。」

「恐れ入りました、工藤さん。明日、明後日とご迷惑をおかけするかもしれませんが…お世話になります。よろしくお願いします。」

「はい、お任せ下さい。こちらこそ、よろしくお願いします。」

気がつけば…感情が昂って泣いていた姫野さんの涙は止まっていた。
そして、2人はどちらともなく右手を相手に差し出し…爽やかに握り合っていた――。
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