男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「そうでしょうね。今、私自身も驚いてますから。…ところで。もし過呼吸になったとして、医療的な処置以外の方法で姫野さんが楽になる…または安心する行為などありますか?」

「えっと…。」

「答えたくなければ、もちろん無理には聞きませんが…『患者を安心させることが1番大切な仕事だ。』って2人はよく言うので。医療的な処置のことを言えば『まず最初は深呼吸をするように促し…呼吸を整えることだ。』とは聞いていますが。」

言いたいことを整理してから伝えようとして、言い淀んだのだけれど…彼はどうも、言葉に詰まって言い淀んだと思ったらしい。

「あっ、違います。言いたくなくて言葉に詰まったわけではなく…どう伝えようか考えてました。…すごく矛盾してますけど『大丈夫。』とか『深呼吸して。』って言ってもらいつつ、背中をトントンしてもらえると安心します。子供をあやす感じでしょうか。あれをしてもらえると、"焦らなくていいんだ"って思えて…呼吸を整える方に意識が向きます。」

「あぁ。先走りました、失礼。…なるほど。確かに子供も安心するぐらいだからそうかもしれない。姪…姉のところの下の子に『ギューってしてー。』ってよく言われるんですよね。」

花純(かすみ)ちゃんですね?病院で何度か会いました。その時、白石先生からも紹介されましたし、自己紹介もしてくれて…お話もしたことがあります。会うと『“みやびおねえちゃん”、きょうは"はぁはぁ"する?くるしい?』って聞いてくれて、心配もしてくれます。お兄ちゃんの(きょう)くんと“パパ”と一緒に、“ママ”を待ってるところに…私が数回居合わせたこともあります。2人とも、とっても可愛いですね。」

「ありがとうございます。そうですね、可愛い甥と姪です。…そうか、響と花純にも会ったことあるんですね。なんか…すごい縁ですね。今後もよろしくお願いします。」

本条課長がこんなに柔らかく笑っているのを初めて見た気がする。
私は心がじんわりと温かくなっていくのを感じた。

それと同時に、社内で『冷徹人間』とか『仕事人間』なんて噂をしてる人は"彼の一部分しか見えてない人、または見せてもらえない人なんだろうな…。"と思った。

「申し訳ありません。話が相当逸れてしまいましたが、承知しました。姫野さんのことを会議の前にこれだけ知れたのは大きい。これなら、あなたが困らないように対策も取れそうだ。打ち明けにくいプライベートな内容ばかりだったのに…話していただけたこと、感謝します。もちろん口外はしませんのでご安心を。」

「こちらこそ、こんな話を聞かせてしまい申し訳ありません。でも本条課長に聞いてもらえて良かったです。否定したり(さえぎ)らずに聞いて下さってありがとうございます。白石先生の仰る通りでした。『昴と新一くんは頼っていい。』と――。」

私は、心の中にある温かな気持ちを素直に伝えた。
普段なら、本音を全てぶつけることなんて…怖いからできないのに――。

「はは、姉さん。まぁ、こういう話においては誰よりも“適任者”かもしれないが…。そういうことにしておくかな。なので…1人で伝えられなくなったら何かしらの合図をいただければ、あとは引き受けますよ。」

「はい、よろしくお願いします。」

「そこからは、気を張らずに堂々とその話し合いの場に居て下さい。あなたが堂々として、『〔開発営業部〕に行きたいと要所要所で繰り返し伝えれば、常務も怯むというか…引き止めること自体が面倒だと思ってくるでしょう。人間の心理的にそういうところ、ありません?」

「確かに。『残る気は無い』って繰り返していると"説得する意味すら無い"と思って、煩わしく感じるかもしれません。」

「そう、そこを突くんです。」

さすがは“交渉の黒薔薇(くろばら)”とか、“黒薔薇の策士”とか言われるだけあるかも。

彼が“黒薔薇”と呼ばれている理由は、そもそも私が“白薔薇(しろばら)”と呼ばれていることに由来するとか…しないとか。

社内の誰かが「姫野さんって"高嶺の花"とか"高貴"って感じで【白】のイメージなんだよなー。…で、本条課長は【黒】。クールでかっこいいイメージあるし。」とか言ってた気がする。

それから、本条課長についても「【黒】って落ち着く色だよな。いろんな色で迷っても最終的には【黒】に落ち着くじゃん。だから"困った時の最終兵器"的な感じ。『この人に任せておけば絶対に大丈夫。』って思える。あと【黒】も"高貴"な感じするし。」なんて意見もあったかな。

別に誰が何を考えてても良いけど、本人に言っちゃうのってどうなの…?
心の中で、勝手に思っておくのは…まだ良いとして。

「なるほど。本条課長の中では、もうシミュレーションできましたか?」

「えぇ。私と鳴海部長で話していたのだけでは、情報と証拠が圧倒的に足りなかった。私たちは“社内の姫野さん”しか知らないですから、交渉材料も"仕事中のこと"が(おも)になる。ただ、口達者な常務に…中途半端な物言いは通用しない。事態を悪化されるだけ。だから悩んでたんですが、あなたが何よりの"証拠"となる"診断書"を持ってきて下さった。これで形勢は逆転です。あとは、あなたの意思と笑顔…そして俺の会話術があれば必勝です。凛として…堂々と、笑顔で私の隣に座ってて下さい。」

なんて自信だろう。
さすがは、社内屈指の“交渉のスペシャリスト”だ。

彼にならきっと任せられる、大丈夫。

「本条課長……。はい!」

「さぁ、戻りましょうか。」

「はい。」

こうして、私たちは会議室に戻った。


**


会議室に戻り常務を探すと、〔営業〕の机の島のところで鳴海部長や朝日奈課長と対峙する鳴海常務の姿があった。
それも、朝倉さんが鳴海部長と朝日奈課長の背に庇われるという構図になっていた。

やっぱり、私の居場所をしつこく聞かれたのね。
私の大切な朝倉さんを困らせないで下さいよ、常務。

「鳴海常務、席を外して申し訳ございませんでした。ですが、あなたの席にお着き下さい。会議開始まであと10分です。各部署から配布されている資料に目は通されましたか?」

「いや、まだだけど……。」

「でしたら、チェックをして下さい。はい、行きますよ。朝倉さんありがとう。私たちが常務や部長への伝言お願いしたから、残ってくれたんでしょう?…もう受付に戻ってもらって大丈夫。」

私は常務にやるべきことを促しつつ、朝倉さんにそう声を掛けた。

「は、はい。ありがとうございます、姫野さん。…では業務に戻ります、失礼します。」

彼女はそう言った後、会議室から出ていった。

「ねぇ、昴と何話してたの?姫ちゃん。しかも、"2人きりで"…なんて。僕とは、できるだけ"2人きりにならないようにしてた"ぐらいなのに…昴となら良いんだ?」

私は常務の視線から逃れるよう俯いて、どうやって切り抜けるかを考える。

どうして、わざわざそれを口に出しちゃうかなー。
おかげで、《部長・課長クラス》がザワついてるじゃない。

しかも、なんでこんな場面で“男の顔”を出してくるのよ!
どう答えたらいいんだろう、逃げたい…。

そう思った瞬間、私の右隣に誰かがスッと来てくれた。

顔を上げて確認したいけど、それはできそうになかった。
だって。今、顔を上げたらまた“男の顔”をした常務が目に入ってしまう。

ただ、男性だということは分かった。
見えた靴が、ヒールじゃなくて…革靴だったから。
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