男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「会社として姫野さんに異動してもらう理由としては、〔開発営業部〕の鳴海部長と本条課長が彼女の語学力を高く評価し必要としているから。これから海外にも商品を売り出そうとしている我が社としては、姫野さんに〔営業〕に居てもらうことに大きなメリットを感じています。〔開発営業部〕では外国語を話せる社員がまだ数人しか居らず、電話対応で困る場面も多々あると聞いています。」
「我々の力不足で、まだまだ人材育成が進んでおらず申し訳ありません。しかしながら、そういった状況も加味して姫野さんには〔開発営業部〕に来ていただき、他の社員も外国語を話せる人間が増えるようご尽力いただきたいと思います。」
専務の言葉に続いて、鳴海部長がハキハキと答えた。
「英語を話せる人間を寄越してほしいというだけなら、別に姫野じゃなくても…〔営業〕で今話せる人間が人材をを育成すればいいじゃないか!」
ちょっと、やだ…。
まだ感情的なんだけど、“この人”。
常務が発した一言で、会議室の空気がピリピリし始める。
彼らの会話を、他の社員は見守るしかできない…そんな空気になった。
その雰囲気を払拭したのは、本条課長だった。
「『姫野じゃなくてもいいじゃないか。』…そうお思いなのですね、常務。4年でしたか、姫野さんがあなたの秘書として活躍して下さって。長年パートナーとして共に仕事をしてきたからこそ、業務に慣れてもいて自分が行動する前に何かと行動してくれる。ドア開けたりタイムキープをしてくれたり…。阿吽の呼吸で業務にあたってくれる彼女を手放すのは惜しい。それはお察しします。ですが――。」
いつもに増して、落ち着いたトーンで話す本条課長。すると空気が一変し、室内のザワつきが無くなった。
あの、ヒリついた空気を一瞬でクールダウンさせるなんて…。
そして、彼は【私が常務秘書でなければならない理由】を冷静に問い掛けていた。
その問いに常務は、"痛いところ突かれた"とでも言うように…渋い顔で受け答えしている。
まだ納得はできていない様子だったけど、常務も"これ以上はこの場では話せない"と思ったのか…風間さんに話を進めるよう促した。
ようやく話が本題に戻り【私の後任】が発表される。
「――そして、姫野さんの後任…。新しい常務秘書は……加々美 茉莉子さんにお願いする形となりました。」
「…えっ、茉莉子…?」
常務は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
少なからず動揺してるみたいね…。まぁ、当然か。
全人事の発表も済み、次回の上層部会議の日時が告げられた後に、会議は終了した。
各自が会議室からぞろぞろと出ていく中、「鳴海常務、姫野さん、鳴海部長、鈴原さん…そして本条課長はまだこの場に残って下さい。」と社長の声がした。
一瞬、朝日奈課長や堤課長も反応するが…"自分たちは違うんだ"と把握すると、鳴海部長と本条課長に「〔1課〕も面倒見ておきますね。」とだけ言って足早に去っていった。
【横の関係】の風通しも良さそう…安心ね。
さて。私の…本当の戦いは、ここから。
**
「さて、みんな揃っているね。それじゃ、姫野さんの異動について鳴海常務が納得していないようだから、話し合いをしていこうか。」
社長の穏やかな一言からそのまま話し合いに入っていくかと思いきや、そう甘くはなかった。
「突然言われて納得するわけないだろ。」
「剛!少し落ち着きなさい。そして君たちには【社長室】と【副社長室】の留守をお願いしたい。」
社長が常務を宥めつつ、自分の秘書と副社長秘書に指示を出した。
「畏まりました。」と言って4人は出ていった。
人払いしてくれたんだ。
社長秘書や副社長秘書には、確かに言ってないから。
そして、私はこのタイミングで切り出した。
「あの…。鈴原さんと本条課長に、私の両隣に座っていただいても良いでしょうか?」
「えっ、姫野さん?」
鳴海専務や鳴海部長、もちろん花森先輩からも驚きの声が上がった。
そんな中、鳴海社長は一瞬驚いた表情を見せたものの…目尻のシワを深くして穏やかに笑ってみえた。
社長は、安心してくれたのかもしれない…。
私が、本条課長に心を許せた…その事実を目の当たりにしたから。
まだ"全て"とはいかないけれど、これから徐々に…とは思っている。
「おや?花森さんではなく本条くんとは…。本条くん、君は姫野さんに何か特別なことをしたかい?」
「いいえ、特別なことは何も…。ただ…彼女から『異動の件でトラブルになるようなことがあれば助けて下さい。』とは会議の前に相談を受けまして、ある程度のお話は伺っております。」
「フッ。本条くん、やっぱり君は“良い男”だなー。男性が苦手な姫野さんが、男性である本条くんに助けを求めにいくとは…。よほど信頼していい人間だと思えたんだろうね。」
「その点に関しては私も驚きましたし、まだ【鈴原さんのように】とはいかないでしょうが…少しでも信頼していただけたことは光栄に思います。」
響くんや花純ちゃんの話をしていた"あの時の笑顔"で、本条課長はそんな風に言ってくれた。
「本条くん、鈴原さん、姫野さんの隣へ掛けて。今日は君たち2人が座るべきだ。」
「はい。」
社長がそう告げると、私の左側に柚ちゃん…右側に本条課長が座ってくれた。
あとの席順はといえば…本条課長の隣に鳴海部長が座り、柚ちゃんの隣に花森先輩が座って、さらにその隣の誕生日席と言われるところに専務が並んだ。
そして専務の対面には泉先輩が座って、私と対面する形で座っているのが、社長と常務と副社長だ。
緊張してきた、常務に責められる?
私、答えられる? どうしよう…。
「社長、聞き取りを行う前に…少しお時間を下さい。……姫野さん、どうしました?着席した瞬間、緊張してきました?…ひとまず深呼吸しましょうか。」
気持ちを言っていいのか迷うけど…。
本条課長の落ち着きを感じさせる少し低めの声で、物腰柔らかく言われてしまえば…自然に口をついて出てきてしまう。
「スゥー、ハァー。そうですね、本条課長。ありがとうございます。……あの、正直に言えば…。ちゃんと伝えられるか、不安になったんです。あと、責められるのかなって…。」
「姫野さん、きれいに伝えられなくても良いんです。あなたの言葉で伝えれば、それでいいと思います。"責められる"…か。姫野さん。今から行われることは尋問ではなく、あなたが働きやすいようにするための【話し合い】と【意見交換】です。だから要望や【苦痛に感じていること】は言っていい。それを責めるなんてことがあったら…それこそ大問題です。」
彼の言葉が、スーッと入ってきて心に染みてくる。
「そして、あなたの隣には鈴原さんも私も居る。約束します、あなたを心理的に1人には絶対にしないと――。」
私を安心させるには、十分すぎる言葉だった。
左側から柚ちゃんの手が伸びてきて、背中をトントンしてくれる。
安心できたと思ったら、泣きそうになっていた。
「安心したね、よかったね…姫ちゃん。泣いてもいいよ。…いいけど、社長と副社長と常務に姫ちゃんの気持ち聞いてもらってからにしよ。でも途中で泣けてきちゃったやつは我慢しなくていいからね。」
そうだね、今泣いたら話し合いができない。頑張らなきゃ。
「本条課長、鈴原さん、ありがとうございます。落ち着きました。……社長、お待たせして申し訳ございませんでした。」
「いや、大丈夫ですよ。姫野さん。本条くん、すごいな。彼女は君の言葉でとても安心したようだ。鈴原さんとは深い付き合いだと聞くから、安心させられるだろうとは思ったが。2人ともありがとう。」
社長は、再び目尻のシワを深くして笑った。
「我々の力不足で、まだまだ人材育成が進んでおらず申し訳ありません。しかしながら、そういった状況も加味して姫野さんには〔開発営業部〕に来ていただき、他の社員も外国語を話せる人間が増えるようご尽力いただきたいと思います。」
専務の言葉に続いて、鳴海部長がハキハキと答えた。
「英語を話せる人間を寄越してほしいというだけなら、別に姫野じゃなくても…〔営業〕で今話せる人間が人材をを育成すればいいじゃないか!」
ちょっと、やだ…。
まだ感情的なんだけど、“この人”。
常務が発した一言で、会議室の空気がピリピリし始める。
彼らの会話を、他の社員は見守るしかできない…そんな空気になった。
その雰囲気を払拭したのは、本条課長だった。
「『姫野じゃなくてもいいじゃないか。』…そうお思いなのですね、常務。4年でしたか、姫野さんがあなたの秘書として活躍して下さって。長年パートナーとして共に仕事をしてきたからこそ、業務に慣れてもいて自分が行動する前に何かと行動してくれる。ドア開けたりタイムキープをしてくれたり…。阿吽の呼吸で業務にあたってくれる彼女を手放すのは惜しい。それはお察しします。ですが――。」
いつもに増して、落ち着いたトーンで話す本条課長。すると空気が一変し、室内のザワつきが無くなった。
あの、ヒリついた空気を一瞬でクールダウンさせるなんて…。
そして、彼は【私が常務秘書でなければならない理由】を冷静に問い掛けていた。
その問いに常務は、"痛いところ突かれた"とでも言うように…渋い顔で受け答えしている。
まだ納得はできていない様子だったけど、常務も"これ以上はこの場では話せない"と思ったのか…風間さんに話を進めるよう促した。
ようやく話が本題に戻り【私の後任】が発表される。
「――そして、姫野さんの後任…。新しい常務秘書は……加々美 茉莉子さんにお願いする形となりました。」
「…えっ、茉莉子…?」
常務は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
少なからず動揺してるみたいね…。まぁ、当然か。
全人事の発表も済み、次回の上層部会議の日時が告げられた後に、会議は終了した。
各自が会議室からぞろぞろと出ていく中、「鳴海常務、姫野さん、鳴海部長、鈴原さん…そして本条課長はまだこの場に残って下さい。」と社長の声がした。
一瞬、朝日奈課長や堤課長も反応するが…"自分たちは違うんだ"と把握すると、鳴海部長と本条課長に「〔1課〕も面倒見ておきますね。」とだけ言って足早に去っていった。
【横の関係】の風通しも良さそう…安心ね。
さて。私の…本当の戦いは、ここから。
**
「さて、みんな揃っているね。それじゃ、姫野さんの異動について鳴海常務が納得していないようだから、話し合いをしていこうか。」
社長の穏やかな一言からそのまま話し合いに入っていくかと思いきや、そう甘くはなかった。
「突然言われて納得するわけないだろ。」
「剛!少し落ち着きなさい。そして君たちには【社長室】と【副社長室】の留守をお願いしたい。」
社長が常務を宥めつつ、自分の秘書と副社長秘書に指示を出した。
「畏まりました。」と言って4人は出ていった。
人払いしてくれたんだ。
社長秘書や副社長秘書には、確かに言ってないから。
そして、私はこのタイミングで切り出した。
「あの…。鈴原さんと本条課長に、私の両隣に座っていただいても良いでしょうか?」
「えっ、姫野さん?」
鳴海専務や鳴海部長、もちろん花森先輩からも驚きの声が上がった。
そんな中、鳴海社長は一瞬驚いた表情を見せたものの…目尻のシワを深くして穏やかに笑ってみえた。
社長は、安心してくれたのかもしれない…。
私が、本条課長に心を許せた…その事実を目の当たりにしたから。
まだ"全て"とはいかないけれど、これから徐々に…とは思っている。
「おや?花森さんではなく本条くんとは…。本条くん、君は姫野さんに何か特別なことをしたかい?」
「いいえ、特別なことは何も…。ただ…彼女から『異動の件でトラブルになるようなことがあれば助けて下さい。』とは会議の前に相談を受けまして、ある程度のお話は伺っております。」
「フッ。本条くん、やっぱり君は“良い男”だなー。男性が苦手な姫野さんが、男性である本条くんに助けを求めにいくとは…。よほど信頼していい人間だと思えたんだろうね。」
「その点に関しては私も驚きましたし、まだ【鈴原さんのように】とはいかないでしょうが…少しでも信頼していただけたことは光栄に思います。」
響くんや花純ちゃんの話をしていた"あの時の笑顔"で、本条課長はそんな風に言ってくれた。
「本条くん、鈴原さん、姫野さんの隣へ掛けて。今日は君たち2人が座るべきだ。」
「はい。」
社長がそう告げると、私の左側に柚ちゃん…右側に本条課長が座ってくれた。
あとの席順はといえば…本条課長の隣に鳴海部長が座り、柚ちゃんの隣に花森先輩が座って、さらにその隣の誕生日席と言われるところに専務が並んだ。
そして専務の対面には泉先輩が座って、私と対面する形で座っているのが、社長と常務と副社長だ。
緊張してきた、常務に責められる?
私、答えられる? どうしよう…。
「社長、聞き取りを行う前に…少しお時間を下さい。……姫野さん、どうしました?着席した瞬間、緊張してきました?…ひとまず深呼吸しましょうか。」
気持ちを言っていいのか迷うけど…。
本条課長の落ち着きを感じさせる少し低めの声で、物腰柔らかく言われてしまえば…自然に口をついて出てきてしまう。
「スゥー、ハァー。そうですね、本条課長。ありがとうございます。……あの、正直に言えば…。ちゃんと伝えられるか、不安になったんです。あと、責められるのかなって…。」
「姫野さん、きれいに伝えられなくても良いんです。あなたの言葉で伝えれば、それでいいと思います。"責められる"…か。姫野さん。今から行われることは尋問ではなく、あなたが働きやすいようにするための【話し合い】と【意見交換】です。だから要望や【苦痛に感じていること】は言っていい。それを責めるなんてことがあったら…それこそ大問題です。」
彼の言葉が、スーッと入ってきて心に染みてくる。
「そして、あなたの隣には鈴原さんも私も居る。約束します、あなたを心理的に1人には絶対にしないと――。」
私を安心させるには、十分すぎる言葉だった。
左側から柚ちゃんの手が伸びてきて、背中をトントンしてくれる。
安心できたと思ったら、泣きそうになっていた。
「安心したね、よかったね…姫ちゃん。泣いてもいいよ。…いいけど、社長と副社長と常務に姫ちゃんの気持ち聞いてもらってからにしよ。でも途中で泣けてきちゃったやつは我慢しなくていいからね。」
そうだね、今泣いたら話し合いができない。頑張らなきゃ。
「本条課長、鈴原さん、ありがとうございます。落ち着きました。……社長、お待たせして申し訳ございませんでした。」
「いや、大丈夫ですよ。姫野さん。本条くん、すごいな。彼女は君の言葉でとても安心したようだ。鈴原さんとは深い付き合いだと聞くから、安心させられるだろうとは思ったが。2人ともありがとう。」
社長は、再び目尻のシワを深くして笑った。