男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「フッ。茉莉子のこと…気づかれてないつもりでいたのに、参ったな……。そんなに顔に出てた?」
「はい。ふとした時に…寂しそうに遠くの景色を見つめてる時がありましたよ。何年、一緒に行動したと思ってるんですか。あまりに寂しそうだったから、茉莉子先輩が出向した最初の1年は放っておけなくて…"本当は勘弁願いたい要求"にも付き合いましたよ。」
「…で、調子に乗って味を占めたのか。…ただ姫野さんの優しさに甘えただけじゃないか。」
「もういいんです、専務。今までのことは…。ただ、常務。これからは"愛情"の向ける方向を間違えないで下さいね。」
私と常務の会話に、専務が入ってきて常務を咎めようとしたから、それは私がやんわりと制止した。
「…分かった。負けたよ。まさか、茉莉子のことまで話に出てくるとは思わなかった。…やっぱり君は侮れないな。交渉の代理人に、昴を選ぶんだから。……それに。相変わらず、どこまでも優しいよね。」
「優しいだなんて、そんな…。」
「いや、優しいでしょ。僕の気持ち見抜いた上で、4年も付き合ってくれたんだから。ごめんね、嫌だって言ってるのに付き合わせて。何だかんだ言っても最終的に僕のワガママ聞いてくれたから……。甘えちゃったんだ。」
「いえ。」
さっきまでの挑発的な態度が嘘のように、常務はしおらしくなった。
こんな風に。仔犬みたいになるから、苦手だけど…憎めないのよね。
「〔開発営業部〕へ行っても頑張るんだよ?開発や営業としての経験が無くて戸惑うかもしれないけど、僕の出張で各地に同行してくれた君なら大丈夫だろう、きっと。」
「ありがとうございます、常務。…はい、精一杯頑張ります。……でも、まだ3月中はあなたの秘書ですよ。まぁ、引き継ぎもあるので〔営業1課〕と行ったり来たりにはなりそうですが。」
「そうだね。…あぁ。そうだ、このあと顔出してきたらどう?〔営業〕に。この後すぐの予定も無かったでしょ?」
「常務と本条課長さえ、よろしければ…ぜひ。」
「では、お言葉に甘えて。1時間ほど、姫野さんをお借りします。」
常務と私の申し出を、本条課長も二つ返事でOKしてくれた。
「…でも。姫ちゃん、気をつけてね。コイツ、新一より何考えてるか分かんないから。ククッ。“黒薔薇”の【黒】は…腹黒の【黒】なーんて言われてたりもしてるから。」
ご本人を前に、ちょっと失礼な気もするけど…常務と本条課長の関係なら良いのかもしれない。
常務が、彼のことを‟昴”って呼んでいるくらいだから。
「それはまた…言い出した人が幼稚ですね。」
「え?」
私の言葉に反応し、こちらに顔を向けてくる本条課長。
「しっかりとお話させていただいたことは…これまでに数回しかありませんが、[GESTプログラム]の時にお世話になった際や、今日のこの場も同じく…とても丁寧で誠実な対応をして下さっていますよ。きっと、冷たい印象を受けている人の噂でしょうけど…観察眼が足りませんね。…こんなに紳士な方、なかなかいらっしゃいませんよ。…あ、でも。策士な印象は受けましたけど…。」
前半は真面目に、後半はちょっと戯けた感じで言ってみせた。
「フッ、はは。姫野さん、あなたは私と似た思考を持っていそうですね。最後に言われた印象…外れてはいません。あなたとは気が合いそうだ。」
「はは。やっぱり、僕の予想通り…あなたと本条課長は“良いパートナー”になりそうですね!」
本条課長と鳴海部長は破顔した。
そして、社長や副社長から「本当に本条くんのことを信頼しているようだが、ものの十数分でここまで打ち解けるものなの?…本当に何もないのかい?」と聞かれたから「私の主治医が本条課長のお姉様とお兄様で、太鼓判を押されました。」と説明しておいた。
「そうか、なるほど。」
こうして。一時は重い空気になるシーンもあったけれど、最後には笑顔で話し合いを終わらせることができた。
「姫ちゃん、お疲れ様。…気持ちは?大丈夫?」
「ぐちゃぐちゃかも…。今顔の力抜いたら泣いちゃう。」
「クールダウンの時間要るね、部長に一言声掛けてくるから待ってて。」
柚ちゃんは、私の心が大きく動いた時…その後で"泣いて心を落ち着かせる"行動を取ることを知っている。
会議後は、会議室の現状復帰をしなければならないというのが暗黙の了解だから、それを「今は手伝えない。」と言いに行ってくれたのだと思う。
「はい、OK〜。向かいの〔視聴覚室〕行こっか。」
私たちは2人で〔視聴覚室〕へ移動した。
「姫ちゃんっ!すごいね、本条課長に"診断書"預けてたり会議前から頑張ったんだね。課長に体委ねてたのもビックリしちゃったけど…安心した!また1人、姫ちゃんに強ーい味方ができたね!…会議前に相当、話聞いてくれんだぁ。あの様子を見ると…。」
「交渉中もだけど…会議前に話してた時も、とっても優しかったから…。」
「部長も課長も紳士だからね。」
柚ちゃんが満面の笑みで言う。
2人のことを心から信頼しているのが分かった。
「でも、グスン…たくさん負担かけちゃったかな…。大丈夫だったかな…。発作起きちゃったし。グスン…。」
心の真ん中にあった不安を口にした瞬間、視界が涙で滲んだ。
「なーるほど。今のモヤモヤの原因は、"それ"ね。大丈夫だと思うよ。正直…私、あんなに優しい表情の課長…見たことないもん。仕事中はキリリってしてて、余談もあんまりしないから"怖い"って思う人と"紳士"って思う人、7対3ぐらいなんだよね。…部長によく諭されてるよ。『お前は間違ってないけど、理論責めが苦手な人も居るから。』って。だから敵も作りやすいんだけど…。姫ちゃんは、いつも通り…見抜いちゃってるからね。"素"だったよ、鳴海部長と飲んでる時みたいだった。」
柚ちゃんが屈託のない笑顔で言うんだから、そうなのだろう。
そして、柚ちゃんはいつものように私を抱きしめて…背中をトントンしてくれる。
「それに、課長も姫ちゃんと一緒。『あまり"素"を出さない。』って言ってた、鳴海部長が。女性関係の絡みが面倒みたい。…そんな人が"素"を出して、しかも誠実に対応してたんだもん。迷惑とか思ってないと思うよ。」
「鈴原さん、姫野さん、大丈夫?…もう戻るよ。」
ドアの向こうから、鳴海部長の声がした。
「大丈夫?少し落ち着いた?…姫ちゃんは化粧室行ってから本条課長とおいでよ。ちょっとだけメイク直し必要かも。私と部長は、この後[商品開発会議]があるから先に行かなきゃだけど…。」
「あっ、ごめん。急いでたんだね。」
「あと45分あるから大丈夫。…行こ。」
このタイミングで私は化粧室へ向かい、柚ちゃんや鳴海部長とは別行動になった。
「隣ぐらいの距離なら、バレるかもしれない…涙の跡。どうしよう。でも待たせちゃうし…今はこれが限界かも。」
そう呟きながら最後にもう一度鏡を見つめて、私は化粧室を後にした。
「本条課長。お待たせしてしまい、申し訳ありません。」
「いえ、大丈夫ですよ。…では、行きましょうか。我が〔開発営業部〕へ。」
「はい、案内よろしくお願いします。」
私は、本条課長と共に〔開発営業部〕へと足を向けた。
「はい。ふとした時に…寂しそうに遠くの景色を見つめてる時がありましたよ。何年、一緒に行動したと思ってるんですか。あまりに寂しそうだったから、茉莉子先輩が出向した最初の1年は放っておけなくて…"本当は勘弁願いたい要求"にも付き合いましたよ。」
「…で、調子に乗って味を占めたのか。…ただ姫野さんの優しさに甘えただけじゃないか。」
「もういいんです、専務。今までのことは…。ただ、常務。これからは"愛情"の向ける方向を間違えないで下さいね。」
私と常務の会話に、専務が入ってきて常務を咎めようとしたから、それは私がやんわりと制止した。
「…分かった。負けたよ。まさか、茉莉子のことまで話に出てくるとは思わなかった。…やっぱり君は侮れないな。交渉の代理人に、昴を選ぶんだから。……それに。相変わらず、どこまでも優しいよね。」
「優しいだなんて、そんな…。」
「いや、優しいでしょ。僕の気持ち見抜いた上で、4年も付き合ってくれたんだから。ごめんね、嫌だって言ってるのに付き合わせて。何だかんだ言っても最終的に僕のワガママ聞いてくれたから……。甘えちゃったんだ。」
「いえ。」
さっきまでの挑発的な態度が嘘のように、常務はしおらしくなった。
こんな風に。仔犬みたいになるから、苦手だけど…憎めないのよね。
「〔開発営業部〕へ行っても頑張るんだよ?開発や営業としての経験が無くて戸惑うかもしれないけど、僕の出張で各地に同行してくれた君なら大丈夫だろう、きっと。」
「ありがとうございます、常務。…はい、精一杯頑張ります。……でも、まだ3月中はあなたの秘書ですよ。まぁ、引き継ぎもあるので〔営業1課〕と行ったり来たりにはなりそうですが。」
「そうだね。…あぁ。そうだ、このあと顔出してきたらどう?〔営業〕に。この後すぐの予定も無かったでしょ?」
「常務と本条課長さえ、よろしければ…ぜひ。」
「では、お言葉に甘えて。1時間ほど、姫野さんをお借りします。」
常務と私の申し出を、本条課長も二つ返事でOKしてくれた。
「…でも。姫ちゃん、気をつけてね。コイツ、新一より何考えてるか分かんないから。ククッ。“黒薔薇”の【黒】は…腹黒の【黒】なーんて言われてたりもしてるから。」
ご本人を前に、ちょっと失礼な気もするけど…常務と本条課長の関係なら良いのかもしれない。
常務が、彼のことを‟昴”って呼んでいるくらいだから。
「それはまた…言い出した人が幼稚ですね。」
「え?」
私の言葉に反応し、こちらに顔を向けてくる本条課長。
「しっかりとお話させていただいたことは…これまでに数回しかありませんが、[GESTプログラム]の時にお世話になった際や、今日のこの場も同じく…とても丁寧で誠実な対応をして下さっていますよ。きっと、冷たい印象を受けている人の噂でしょうけど…観察眼が足りませんね。…こんなに紳士な方、なかなかいらっしゃいませんよ。…あ、でも。策士な印象は受けましたけど…。」
前半は真面目に、後半はちょっと戯けた感じで言ってみせた。
「フッ、はは。姫野さん、あなたは私と似た思考を持っていそうですね。最後に言われた印象…外れてはいません。あなたとは気が合いそうだ。」
「はは。やっぱり、僕の予想通り…あなたと本条課長は“良いパートナー”になりそうですね!」
本条課長と鳴海部長は破顔した。
そして、社長や副社長から「本当に本条くんのことを信頼しているようだが、ものの十数分でここまで打ち解けるものなの?…本当に何もないのかい?」と聞かれたから「私の主治医が本条課長のお姉様とお兄様で、太鼓判を押されました。」と説明しておいた。
「そうか、なるほど。」
こうして。一時は重い空気になるシーンもあったけれど、最後には笑顔で話し合いを終わらせることができた。
「姫ちゃん、お疲れ様。…気持ちは?大丈夫?」
「ぐちゃぐちゃかも…。今顔の力抜いたら泣いちゃう。」
「クールダウンの時間要るね、部長に一言声掛けてくるから待ってて。」
柚ちゃんは、私の心が大きく動いた時…その後で"泣いて心を落ち着かせる"行動を取ることを知っている。
会議後は、会議室の現状復帰をしなければならないというのが暗黙の了解だから、それを「今は手伝えない。」と言いに行ってくれたのだと思う。
「はい、OK〜。向かいの〔視聴覚室〕行こっか。」
私たちは2人で〔視聴覚室〕へ移動した。
「姫ちゃんっ!すごいね、本条課長に"診断書"預けてたり会議前から頑張ったんだね。課長に体委ねてたのもビックリしちゃったけど…安心した!また1人、姫ちゃんに強ーい味方ができたね!…会議前に相当、話聞いてくれんだぁ。あの様子を見ると…。」
「交渉中もだけど…会議前に話してた時も、とっても優しかったから…。」
「部長も課長も紳士だからね。」
柚ちゃんが満面の笑みで言う。
2人のことを心から信頼しているのが分かった。
「でも、グスン…たくさん負担かけちゃったかな…。大丈夫だったかな…。発作起きちゃったし。グスン…。」
心の真ん中にあった不安を口にした瞬間、視界が涙で滲んだ。
「なーるほど。今のモヤモヤの原因は、"それ"ね。大丈夫だと思うよ。正直…私、あんなに優しい表情の課長…見たことないもん。仕事中はキリリってしてて、余談もあんまりしないから"怖い"って思う人と"紳士"って思う人、7対3ぐらいなんだよね。…部長によく諭されてるよ。『お前は間違ってないけど、理論責めが苦手な人も居るから。』って。だから敵も作りやすいんだけど…。姫ちゃんは、いつも通り…見抜いちゃってるからね。"素"だったよ、鳴海部長と飲んでる時みたいだった。」
柚ちゃんが屈託のない笑顔で言うんだから、そうなのだろう。
そして、柚ちゃんはいつものように私を抱きしめて…背中をトントンしてくれる。
「それに、課長も姫ちゃんと一緒。『あまり"素"を出さない。』って言ってた、鳴海部長が。女性関係の絡みが面倒みたい。…そんな人が"素"を出して、しかも誠実に対応してたんだもん。迷惑とか思ってないと思うよ。」
「鈴原さん、姫野さん、大丈夫?…もう戻るよ。」
ドアの向こうから、鳴海部長の声がした。
「大丈夫?少し落ち着いた?…姫ちゃんは化粧室行ってから本条課長とおいでよ。ちょっとだけメイク直し必要かも。私と部長は、この後[商品開発会議]があるから先に行かなきゃだけど…。」
「あっ、ごめん。急いでたんだね。」
「あと45分あるから大丈夫。…行こ。」
このタイミングで私は化粧室へ向かい、柚ちゃんや鳴海部長とは別行動になった。
「隣ぐらいの距離なら、バレるかもしれない…涙の跡。どうしよう。でも待たせちゃうし…今はこれが限界かも。」
そう呟きながら最後にもう一度鏡を見つめて、私は化粧室を後にした。
「本条課長。お待たせしてしまい、申し訳ありません。」
「いえ、大丈夫ですよ。…では、行きましょうか。我が〔開発営業部〕へ。」
「はい、案内よろしくお願いします。」
私は、本条課長と共に〔開発営業部〕へと足を向けた。