男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方

6th Data “黒薔薇”は私の救世主 ◇雅 side◇

「姫野さん、今日はお疲れ様でした。必要な話し合いだったとはいえ、つらかったでしょう。無遠慮な質問等もありましたし。」

廊下を歩きながら、口火を切ったのは本条課長だった。

「本条課長こそ、お疲れ様でした。申し訳ありません、急にあんな役目をお願いしてしまって…。話し合いの内容については大丈夫です。あれぐらいは覚悟してましたから。…ただ、疲れはしました。」

「過呼吸の発作もありましたし、無理もないでしょう。ところで。過呼吸の対処の仕方は、あれで大丈夫でしたか?」

「はい。迅速かつ的確に対応いただいたおかげで、症状を初期段階で抑えることができました。ありがとうございます。ただ…ご負担になりませんでしたか?」

「負担?…なっていませんよ、初期症状で抑えられたのなら何よりです。」

そう言って、穏やかな笑みを浮かべる本条課長。

「姫野さん…。一つお伺いしても?」

「はい、何でしょう?」

不躾(ぶしつけ)な質問だとは思いますが…泣かれましたか?頬に涙の跡が…薄っすらと。鈴原さんと席を立たれた理由は"これ"でしょうか。聞かない方が良いのかとも思いましたが…話し合いの最中にこちらの不手際で、"実は姫野さんに泣きたくなるほどつらい思いをさせてしまったのでは?"と思いまして…。」

あぁ、やっぱり気づかれちゃうのね。
“本条の人たち”は…どうしてこうも私の心の中に上手く入ってくるのかしら。


でも。無神経に土足でパーソナルスペースに入ってくることはなく、ちゃんと【気持ちを()む】ように心をノックして入ってくる感じだから…全然嫌だとは思わないけど。

むしろ「どうしてそんなに優しく傷を包むように入ってきて癒してくれるんですか?」と、こっちが聞きたいぐらい。

「……はい、泣きました。でも、それは本条課長の不手際によるものではありません。滅相もないことです。……私が泣いた理由を本条課長にならお話しても良いかなと、むしろ知っててほしいと思いますけど…。」

「"けど"?…何でしょう?」

「…理由を聞いて笑わないで下さいね?」

「クスッ。今のあなたを見てると… “男嫌いの淑女(レディ)”や“氷の淑女(レディ)”、“高嶺の花”なんて呼ばれているのが、いかに【他人が勝手に言い出し、言葉だけが独り歩きしている状態か】が分かりますね。…失礼しました、涙の理由については絶対に笑いません。安心して下さい。」

「あと。他の方には秘密にして下さい。いずれバレるかもしれないし、自分から話すこともあるかもしれないですが…。恥ずかしいので、鈴原さんと本条課長以外にはまだ知られたくないんです。」

私は泣いた理由を明かす前に、もう一度彼に念を押した。

「もちろん、他言無用です。」

彼が大きく頷いてくれたので、私は口を開いた。

「実は…。私はどうも【感情が大きく揺れ動いた時】に自然泣けてくることが多いみたいです。今日のような"自分が大きく関わる話し合いの場"や"白石先生に気持ちを聞いてもらった時"なんかは特に…。緊張が解けた時や安心感が得られた時は、きっと…かなりの確率で泣いていると思います。お恥ずかしい話ですけど。…きっと〔開発営業〕で飲み会とかって話になった時でも何回かパウダールームに走ります。」

「あぁ。やっぱり、姫野さん…あなたという人は――。」

本条課長はそこまで言うと、なぜか困ったように微笑んで…続きの言葉を紡いだ。

「凛とした態度で仕事に取り組んでいて、無駄がなく…頭の回転も速いから効率的に業務を進めていける。ただ、それは【本当にあなたが見てほしい姿】ではない。〈PTSD〉の影響で、他人からの言動や態度によって自分が攻撃されないために自己防衛手段の一つとして“凛としたクールな女性”を演じていただけ…。本来のあなたは自分に嘘をつくのが嫌いで、繊細で傷つきやすい。だからこそ"他人の痛み"にも気づき、共感することができる“優しい人”です。」

「それほど繊細なあなたが…自分のための話し合いとはいえ、あれほど空気が張り詰めている場に居た。そうなれば、緊張感から解放された瞬間…感情が涙となり出るのはある意味で自然なことなのかもしれない。退室せずに、"あの場"に居続けたあなたは…強い人だ。よく気を張ってましたね、お疲れ様でした。……はい、もう力抜いてもいいですよ。楽にして下さい。」

うそ…。
こんなに早く……こんなにも優しく、私が(まと)っている(よろい)を外していくなんて――。


本条課長…。
私の心にそっと入ってくるあなたが…怖い。
でも、衝動的にあなた胸に抱かれてしまいたい気分になっていることも事実で――。

「本条課長、少しの間…"ここ"貸して下さい。」

彼の胸に、衝動的に飛び込んでいた。

「…えっ?…えぇ。あなたが俺の胸なんかで良ければ、いくらでもどうぞ。……俺は、どうしているのが【あなたにとって正解】ですか?」

「……少しの間、抱きしめてて下さい。ごめんなさい、こんなこと…。」

「いいえ、お気になさらず。姫野さんが楽なら…それが一番です。」と、そんな言葉を聞いた直後…私は背中に温もりを感した。

温もりに包まれた瞬間、一度は収まっていた涙が…再び溢れ出した。

「――っ!」

私が泣いている間、背中をトントンと優しく労わるように叩きながら、本条課長は黙って抱きしめてくれていた。

"本条課長は私の救世主だな。"なんて思いながら、彼の胸に身を委ねていた。
ここが会社の廊下だということを忘れてしまうくらい、彼の腕の中は心地良くて……。


"普段の私なら男性の胸を借りて泣くなんて絶対にしないのに…。"と思ったり、衝動的にとはいえ…本条課長の胸に飛び込んでしまっている自分に驚かされたり…。

"いろいろ感情が追いついていないな。"…とは思う。


"ただ疲れてて、癒されたかった。"…それだけの感情だと思う。
"それ以上"の感情なんて無い。

そうであってほしい…。

これ以上、自分で【自分の心の中】を荒らしたくなくて……私は考えるのをやめた。

あとで、本条課長に謝って…私も猛反省しよう。


「スッキリしましたか?」

「はい、ありがとうございました。…あの!本条課長。申し訳ありませんでした、身を預けてしまうなんて…。」

「いいえ。むしろ、俺のせいでしょう。あなたに感情を出すように焚き付けたのは俺ですから。……さぁ。もう一度、化粧直しをしてきて下さい。」

穏やかな笑顔で彼にそう言われ、私は"彼を待たせてはいけない"と化粧室に駆け込んで手早くメイクを直し、彼のところへ戻った。

そして今度こそ、本当に〔開発営業部〕へと足を進めた。


**


――ガチャ。

「…戻った。何か俺宛に急ぎの連絡はあったか?」

〔開発営業部〕のドアを開けつつ、本条課長はそう尋ねた。

「いえ。特には無かったですよ、本条課長。ただ、鳴海部長が『来客が来たら優しく迎えるように。』って意味あり気に……えっ、 “淑女(レディ)”!?」

「コラ。『姫野さん』だ、観月。……はは、“来客”ときたか。“あの人”はまったく。」

「まったく。」と言いながら、本条課長は全然怒っていない。
鳴海部長は、普段からきっと茶目っ気が大いにある人なんだと思う。

作業のキリがついたらしい観月くんは、私と課長を出迎えるようにこちらへ駆け寄ってきてくれる。だけど、本条課長から私のことを「 “淑女(レディ)”」と呼んだことに対して注意も受けている。

「すみません。えっと。“来客”ってもしかして、レ…姫野さんのことですか?それにしても…。どうしてここに姫野さんが?」

「観月。お前、“彼女”の呼び方…新年度までに“姫野さん”に直せよ。絶対にだ。…まぁ、待て。順に説明するから。……速水主任、立花さん、ちょっと良いですか?工藤と桜葉と…あと津田も。それから立花さんは、こっちに来る前に朝日奈課長と堤課長に電話を頼む。『本条が呼んでるから顔出してくれ。』って。」

「分かりました。」

電話? 何で電話で呼ぶの? 直接呼びに行けばいいんじゃ……。

"第1"から"第3"まである〔営業〕はそれぞれが扉付きのパーテーションで仕切られており、簡単に行き来ができるようになっている。だから電話で伝えるより直接伝える方が早いと思うんだけど。

「いくら近いとはいえ、直接呼びに行かずに電話するのは、短時間でも席を外していることがあるからです。社内のコンピューターの調整や、誰かのサポートなどで…。姫野さんも、異動後はそのように対応して下さい。」

「承知しました。」

私の疑問は、顔に出ていたらしい。

そして。朝日奈、堤、両課長も揃ったところで本条課長は【私が今日ここに来た理由】を全員に聞こえるように伝える。

「全員、耳だけ拝借したい。姫野さんと、現在研修中の津田は…来年度より〔1課〕の配属になることが決まった。」
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