男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「えぇぇぇっ!?」

〔第1課〕はおろか…〔第2課〕、〔第3課〕の人たちからも驚きの声が上がる。

ここで1人か2人は、興味本位で異動理由とか聞いてくる人いるけど…。

「そしておそらく。【姫野さんの秘書課からの異動理由】なんかを聞きたい奴も居ると思うが…それは慎むように。」

さすが本条課長。間髪入れずに釘を刺した。

「はーい。」

どこかのデスクから、明らかに…"聞こうとしていて聞けなかった"とでも言うような、残念がる声が聞こえてくる。

でも、彼はあえてスルーしている。

そして次に。朝日奈課長と堤課長のことや、速水主任や工藤さん…そして立花さんのことを紹介してくれる。

「姫野さんは知っての通りだが…。朝日奈が〔第2課〕の課長で、堤が〔第3課〕の課長だ。俺が会議や出張等で不在の時で、"課長"や"部長"の肩書きが必要な案件なんかが来た場合、この2人を頼ればいいから。それ以外は基本的に…俺か、〔第1課〕主任の速水さんを通すように。」

「はい。」

私は津田くんとともに返事した。

「そして速水主任は"Bチーム"のリーダーで、チームとしては工藤や立花さんと一緒だ。主任や立花さんは〔営業1課〕では俺より長いから事務的な業務の流れは一番把握してる。分かないことがあれば聞くと良い。ちなみに〔開発〕と〔営業〕は、個人で動く場合とチームで動く場合がある。〔1課〕は1チーム5〜6人体制で、A〜Fの6チームだ。」

「はい、分かりました。」

「俺と立花さんは機械のことはそこそこしか分からないから、課長が居ない時は工藤くん…もしくは観月くんや桜葉くんに聞いた方が確実だよ。彼らは【〔営業〕全体から一目置かれている存在】ですからね。」

本条課長からの説明を受けて、速水主任がちょっと自信の無い様子でそう告げる。

「何と言っても…。3人は、“本条課長が手を掛けて育てた人材”ですからねー。」

速水主任に続くように、立花さんもニッコリ笑ってそう言った。

「遠慮なく何でも聞いて下さい。」

噂通り…工藤さんに聞けば、"質問したこと"に対しての"答え"が全部返ってきそうね。

それも…【正確な答え】が――。

「工藤さんは頼りになりますけど、俺たちはまだまだです。速水主任、立花さん。」

観月くんと桜葉くんは、2人して照れ笑いを浮かべている。

「…姫野さんと津田には"Aチーム"に入ってもらう。…それでだ。津田の指導係を桜葉、姫野さんの指導係を観月に頼みたい。」

「俺たち、まだ3年目ですよ!?早くないですか!?」

観月くんと桜葉くんは、本条課長が放った「指導係を頼みたい。」の一言に驚愕(きょうがく)している。この様子だと、2人にとっては予想外の指示だったようだ。

戸惑ってる2人を"ちょっと可愛いな"と思ってしまう。

「誰も1人でやれとは言ってない。考えてみろ、新人2人が"Aチーム"に入る理由を。」

「えっ、何だろ。うちのチームってことは……あっ!」

「気づいたか?桜葉。」

「え?何なに?まだピンときてないんだけど…。俺。」

何かに気づいた桜葉くんと、気づいていない観月くん。

ふふっ。何か…良いコンビね。

微笑ましい光景に、自然と顔が綻ぶ。

「“シュウ”、うちのチームのリーダーって誰よ?」

「…えっ?課長。……あぁ、そういうことか。」

「そうだ。お前らの後ろには俺が居る。だから手探りでも何でもやってみろ。足りないことや分からないことがあれば、ちゃんとサポートしてやる。これも絶対良い経験になる。」

「はい。自信満々とはいきませんけど…。」

「精一杯、頑張ってみます。」

2人は真剣な眼差しを本条課長に向け、返事をしていた。

そんな全体的な説明を終えて、朝日奈課長と堤課長は〔第2課〕と〔第3課〕へ戻っていき、私は本条課長の後ろについていく形で〔営業1課〕のスペースにお邪魔した。

その後、〔営業1課〕のルールみたいなものをサラッと観月くんから教えてもらった。

「基本的に〔1課〕と〔2課〕は"外回り部署"です。〔1課〕はとにかく営業に行きます。学校や病院、金融機関や直営店なんかに…。〔2課〕は〔マーケティング部〕や〔開発〕と連携を取って国内外問わず市場調査をして商品開発に繋げています。〔3課〕は、社員のサポート…『使い方が分からない。』とか、『プログラムの不具合なんじゃないか?』みたい話になった時に対応する。それから〔開発〕に発注を掛けたりする部署に…一応はなってます。社員のサポートなんて本当は〔営業〕じゃなく〔相談部 カスタマーサービス課〕の業務だけど、社内でのトラブル対応は知識と技術が要ることも多いので…。」

観月くんの言葉を、自然とオウム返ししていた。

「"一応"って…?」

「一応、そういう()()けにはなってますけど…"現場"はそうも言ってられないこともあるので。よく応援には行くし、来てもらう。…そんな感じです。」

「なるほど。」

観月くんの補足説明を聞いて納得した。
そんな会話がキリ良く終わったところで、本条課長に呼ばれる。

「姫野さん。ちょっと年度始めの業務連絡をしたいんだが…良いか?」

「はい。」

私は課長の机の前に移動し、用件を聞いた。

「就業前にあなたのPCを〔営業部〕仕様にするために初期化作業をしたい。1時間早く出勤してもらうことは可能か?」

あっ、そっか。私、平社員になるんだった。
平社員が重役の予定を知っていたら、困ることもあるか…。

「はい、可能です。」

「…なら、頼む。」

「承知しました。」

こうして。年度始めの業務の流れを聞いた後〔営業部〕の皆さんに一言挨拶をしてから、本条課長と一緒に〔第二役員室〕に戻った。


**


「おかえり姫ちゃん。どうだった…って、何でまだ昴が一緒に居るんだよ。」

本条課長とともに〔第二役員室〕へ戻ると、常務はあからさまに彼を煙たがった。

「29日の終業後は、お2人とも何かご予定はございますか?…さすがに年度末なので会食などは入っていないかと思いますが。」

常務の反応を気にすることなく、彼は用件を切り出した。

「はい。お察しの通り会食などはありませんが…何かございましたか?本条課長。」

私は、即座に秘書としての頭を切り替えて、タブレットで予定表を確認しながら彼に聞き返した。

「PCの初期化作業の話は先ほどしましたが、その前にバックアップ作業を前日には済ませたいのです。それで29日の終業後にこちらに伺いたいなと思いまして。ちなみに、加々美さん用に新しいPCもお持ちして初期設定を済ませたいとも考えています。」

彼の用件を聞き、自分では対応が難しいと感じらしい常務は、私と彼で話を進めるよう視線をこちらに投げてきた。

「承知しました。では、3月29日の17時30分以降のお越しをお待ちしておりますね。」と予定表にそれを組み込みながら言うと、本条課長は「よろしくお願いします。」と短く返事し、〔開発営業部〕へと戻っていった。


**


そして翌日からは、2日前にニューヨークから帰国した茉莉子先輩も出社し、引き継ぎ業務に追われた。
〔開発営業部〕と〔第二役員室〕を往復し、引き継ぎ業務をこなす"怒涛の10日間"は目まぐるしく過ぎていき、倒れそうになりながらも何とか業務を全て終わらせた。

「今日までお世話になりました、常務。」

「いや、こっちこそありがとう。お疲れ様。」

常務秘書としての最終日、業務を終えて本条課長を待っている間に私は常務に挨拶した。

「ごめんね、雅ちゃん。私の帰国がギリギリだったから、あなたに負担をかける形になって…。」

「いえ、滅相もないです。加々美先輩。」

茉莉子先輩も会話に混ざってきた。

「4月からは本条課長の直属の部下になるのよね?…彼。厳しいと有名だけど、常務と仕事ができたあなたなら大丈夫よ。頑張ってね、常務(このひと)のことは任せて。」

「はい、本条課長は仕事に対して厳しい方だとは思います。でも休憩時間なんかはとても優しい方なのでやっていけると思います。常務のこと、よろしくお願いします。」

「あら、さすが雅ちゃん。もう本条課長の"素顔"が分かちゃったのね。…また〔営業〕にも顔出すわ。ランチも行ったりしましょ、鈴原さんも一緒に。」

私たちの会話を聞いて「ねぇ。2人とも…酷くない?」と言う常務に、「あなたの日頃の行いのせいでしょ、自分を悔やみなさいな。自業自得よ。」と笑顔でズバッと言う茉莉子先輩。

こんな言い合いの中に、お互いしっかりと【愛】を入れるんだから微笑ましい。

会話に花を咲かせていると本条課長が来られて、バックアップ作業や新しいPCの初期設定など…同時進行で手際良く作業を進めてくれる。

やっぱり。見れば見るほど、彼は仕事ができる人だと思う。

全ての作業が完了したのは、19時を少し回ったぐらいの時刻だった。

4人で部屋を出る際、私はドアの前で振り返って常務のデスクと対面する格好を取った。

そして、4年間お世話になった〔第二役員室〕に一礼した後、丁寧にドアを閉めた――。
< 26 / 126 >

この作品をシェア

pagetop