男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方

2nd Data “男嫌い”は秘書課のお荷物 ◇雅 side◇

「…ねぇ、姫ちゃん。今夜、何か予定あったりする?」

〔第二役員室〕で、私の直属の上司である鳴海常務に夜の予定を聞かれたのは、3月14日当日の朝イチ。

「私の今夜の予定ですか?…特にこれといった予定はありませんので、仕事の打ち合わせでしたら予定を空けてお付き合い致します。」

私は、そう言って「仕事の打ち合わせでしたら。」の部分を強調しつつも、常務の次の出かたを見るためにわざと曖昧に答えた。

「…も、もちろん仕事絡みの話だよ。もうすぐ年度末だし、姫ちゃんには前もっていろいろと業務連絡をしておこうと思って。忙しくなるし。それに姫ちゃんは毎日本当によく頑張ってくれてるから、ディナーぐらいご馳走させてほしいんだ。」

どもってますよ、常務。

女を褒めるお世辞は上手いのに、真面目な嘘は相変わらず下手ね…。【食事のお誘い】がメインの用件でしょ。

"引く手数多(あまた)なんだから私じゃなくても良いでしょ"と思うけど、仕事の話もするかもしれないから安易に断れないのよね…。

私は常務秘書だから、彼の仕事のスケジュールは把握しておく必要があるし…。

「食事をご馳走していただくほどの業務は行っておりませんが、お気遣いありがとうございます。常務。そういうことでしたらお付き合い致します。ただし、私には絶対に触れないように……。」

「気をつけるよ。」

私を“女”として見ている男との食事なんて…本音を言うなら、御免被(ごめんこうむ)りたい。
心の中ではそう思いながらも、表面的には「お付き合い致します。」と口角だけを上げ、お(しと)やかに笑う【秘書スマイル】を浮かべておく。

常務の前任秘書だった加々美(かがみ) 茉莉子(まりこ)先輩がニューヨーク支社への出向を命じられて4年。
出向の直前まで茉莉子先輩と一緒に仕事をして内容を叩き込み、彼女が渡米してからは花森先輩と泉先輩から教えてもらった。

その直後から、私が常務の猛アタックを受ける羽目になった。
…とはいえ、彼の気持ちが茉莉子先輩にしか向いていないのを、私は知っている。要するに。常務は、“彼女”の代わりに自分の相手をしてくれる人が欲しかったのだ。

過去の"トラウマ"により、私は“男嫌い”というか…男性に恐怖心を抱くようになってしまっている。
ビジネスパートナーとしての相手はできるが、プライベートまでは荷が重い。

男性に恐怖心があるせいで、改めて"恋愛"にも踏み出せないまま…気づけば5年以上は経っている。

「それなら安心です。本当にその点だけは…どうか、よろしくお願い致します。」

「気をつけるよ。」とか言いながら、全然そのつもりがないのは…ある意味【お約束】。
だから放っておくしかない。


実際、どの程度ダメなのかというと――。
男性と話すぐらいなら問題は無いし、クライアントと握手を交わすぐらいは平気。
でも、甘い言葉を囁かれたり体に触れられたりすると、蕁麻疹(じんましん)が出たり過呼吸になったりする。

私はたぶん、男性が本気になった時の…いわゆる“男の顔”というものが苦手だ。
"あの顔"で迫って来られると…呼吸がしづらくなる。

だから、必要最低限しか男性と関わりを持たないようにしている。

幸い、今のところ常務の前では症状出さずに済んでるけど…帰宅途中で病院に駆け込んだことはいくらでもあった。
何となく…私の"パーソナルな部分"に入ってきてほしくないのだと思う。

症状のことは、常務のお父様である"代表取締役社長"や叔父様の"副社長"、お兄様の"専務"にはお伝えしてある。

彼らと…花森(はなもり)先輩や(いずみ)先輩は、心理的距離を上手に取ってくれて深入りしない。だから安心して付き合える。でも、常務は空気を読んでくれないところがあるし…私がまだ常務に心を開ききれていない。

それもあって、彼には黙っておいてもらっている。


そんな、“かなり難アリな私”…姫野(ひめの) (みやび)のことを社内の人は“男嫌いな淑女(レディ)”と呼ぶ。

164cm…女にしては少し高めの身長っていう要素だけも、十分すぎるぐらい目立つ。加えて、少し小さめの顔と…肩甲骨(けんこうこつ)まであるストレートでダークココア色の髪は、男性のみならず女性の目も引き付けてしまうみたい。
「雅ちゃんの髪って艶あるわよねー。どんなヘアケアしたらそうなるの?」と花森先輩や泉先輩には特に羨ましがられる。

会社での制限はないけど、私は他社の重役にも会わなければならないポジションに居るから、これ以上は明るくしない。

もとは、常務から「黒髪だと重たい印象を与えちゃうから茶色にしてきなよ。」という指示があったから"クライアントにも好印象になるなら"と思い、染めたのだけれど…。

口説き文句として言っただけなのだと、後々に判明した。
そんな理由なら、絶対にこの色から変えてやらないんだから!

それから“男嫌い”はその通りだから否定しないけど、‟レディ”なんてイメージはどこから湧いたのよ。私に、【気品】や【知性】なんてものは備わってない。
しかも、‟私のことを良く思っていない一定数の男女”から、好き勝手に言われてるのも知ってる。

「姫野さんって…秘書課に居る意味ある?確かに顔は良いけど、明らかに"お荷物"だよな!“男嫌い”のくせに何で秘書なんかやってんの。」とか「あの人、1人で何でもやっちゃうから…男としては張り合いがないんだよなー。甘えてきたら可愛いだろうけど…。」とか…「重役にチヤホヤされすぎ。」とか。

みんな勝手よね、私の"中身"なんて気にしたこともないくせに…。

《秘書》という立場上、上司やクライアントに失礼のないように細心の注意を払って接しているだけ…。
知識だって、ビジネス書を読んだり先輩秘書の花森さんや泉さんに聞いて、教えてもらってるから付いてきただけ。

まだまだ一人前じゃないし、負けず嫌いな性格だからこの業界で「女性だし、ITの知識が少ないのも仕方ないよね。」なんて言われるのが嫌で、バカにされないように知識を付けたまでだし。

それに。美人っていうなら、私なんかより花森先輩や泉先輩の方が美人よ。
私が“淑女(レディ)”なんて呼ばれる要素はどこにも無いのに…。


【みんなの注目の的】になりたくないし、良くも悪くも目立ちたくないのに…。


あー。また明日から、しばらく蕁麻疹(じんましん)や過呼吸と闘ったり〔販売促進部〕部長秘書の美島(みしま) 玲華(れいか)を筆頭とした“常務ファン”の子たちからのイジメにも耐えなきゃならないのね…。
ただでさえ忙しくて、仕事に穴なんか空けられないのに……。

まぁ。毎度のことだから覚悟はしてるけど…。

私を恨むのは構わないけど、病院送りにしたら“あなたが愛してやまない常務”の仕事に支障が出るのよ?
そこに気づいてほしいわね、美島さん。

業界は違えど、あなたも社長になるんでしょう。
「社会経験のために」と…わざわざお父様の美島社長がうちの社長に頼んで一時入社して修行中なんでしょう?
今のあなたの姿見たら、お父様が泣くわよ。

現在25歳の彼女は、世間知らずで男にも不自由していない…いわゆる“お嬢様”。
ショコラブラウンの"緩ふわ"ロングヘアで、強めのオリエンタルな香りを振り撒いている彼女はいかにも「令嬢です!」という雰囲気を(かも)し出している。

"(とげ)のある物言い"が苦手だから、あまり関わりたくないというのが本音…。

「“男嫌い”なんて、他の男を寄せ付けないための嘘でしょ!」とか言ってきて、私がいくら「違う」と言っても聞き入れてくれない。

しかも柚ちゃん以外の部長秘書の子たちと、その他大勢の“常務ファン”の子たちが複数で嫌がらせしてくる。

本当にタチが悪い。

何かある度、柚ちゃんと先輩たちが助けてくれるけど…。

「…じゃあ、今日はどんなに遅くても18時には会社を出ようね。」

(かしこ)まりました、常務。」

こうして…私とのディナーを確約にした常務は、その日の業務を上機嫌でこなしたのだった――。
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