男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「いえ。それを言うならこちらこそです。先生からの伝言、課長から聞きました。先生が私の電話対応を褒めて下さっていたと――。あとは…そうだ、妹が大阪から横浜に戻ってきました。」

「あの後…。本当に昴が飛んできたので驚きましたが、昴が『電話対応と、その後の俺への伝達に無駄がなかった上に代替品の手配まで済んでたからな。姫野さんと観月のおかげだ。』と嬉しそうに言ってました。……あっ。唯さん、こちらに戻って来られたんですね。それは安心だ。」

「…そんな。むしろ私の方が課長に助けていただいてばかりで…。異動のための【常務の説得】も、〔営業1課〕に異動してからのチーム配置も配慮していただいてます。“攻撃的な人”が居ないチームに。」

本条先生が穏やかな笑顔でそう話してくれたから、私もつられて…穏やかな気持ちでここ2週間ぐらいの出来事を伝えた。

「そうか…。あの"診断書"を見せて、昴には〈PTSD〉のことを打ち明けられたんですね?…よく打ち明けようって決心できましたね。」

「はい。常務に事情を説明せずに異動するわけにはいきませんでしたから…。」

そして私は【話し合い】の前に、課長に助けを求めたら快く協力してくれたこと、〈PTSD〉のことを聞いても一切否定的なことを言わずに受け止めてくれたこと…過呼吸の対応もしてくれたことを先生にざっくりとお話した。

「この2週間すごく頑張ったんですね。正直、環境が大きく変わりますから心配してたんです。…しかし、ちゃんと配慮がされたようで安心しました。…僕の手すら握れなかった時期からすると、ものすごく前進してますね。」

こんな話の流れで――。
本条先生に、課長や柚ちゃん以外の身近な人にも打ち明けようと心境の変化があり、今週か来週で【お酒の席】を設けようとしていること。また、ドクターが居ないところで過呼吸になった場合…どの程度まで周りの人に処置などをお願いして良いか、お願いすべきか諸々を改めて確認した。

そして呼吸器内科での診察を終えた私は、精神・心療内科の外来ヘ向かった。



「姫野さん、姫野 雅さん。どうぞ。」

診察室の横の椅子には私しか座っていなかったため、すぐに白石先生が呼びに来てくれた。

私は先生に続いて診察室に入り、先生が座る椅子の前に置かれている丸椅子に静かに座った。

「こんばんは、姫野さん。お仕事お疲れ様でした、最近は体調いかがですか?」

白石先生に、笑顔でそう問い掛けられる。

先生の笑顔には、不思議と【力】があると…私は思う。
彼女の笑顔には【人の心を安心させる力】がある。

「こんばんは、白石先生。実は、最近…体調すごく良いんです。」

「あら。そうなんですね、何か良いことありましたか?」

「たくさんあります。だから順番に聞いて下さい。まず、妹が大阪から横浜に戻ってきました。」

そう言って私は、先ほど本条先生にも話したことを白石先生にも伝えた。

「…あっ。唯さん、戻ってきたんですね。それは安心ですね。……うんうん。【異動のための話し合い】をする前に“〔営業1課〕の課長さん”に〈PTSD〉のことを打ち明けたら驚くどころか、すごく優しい雰囲気で聞いてくれた…と――。」

「はい。なんて言うんでしょう…。【包み込んでくれる感じ】というか…。」

「えぇ。何となく言いたいことは分かりますよ。」

「それから【異動のための話し合い】の最中も、私の気持ちを確認しながら私に代わって話を進めてくれたり…。過呼吸の発作起きちゃったりしたんですけど…柚ちゃんと一緒に対応して下さったりとかして…。」

私がそう説明すると、白石先生は軽く目を見開いてこう言葉を続ける。

「ということは…。昴…“課長さん”に体支えてもらったりしました?」

「はい。これでまた【不安階層表】に書いた、いくつかの項目はクリアできたと思います。ここまでくるのに何年かかってるんだろ、嫌になる…。」

【不安階層表】とは、不安や恐怖を感じる状況や場所を苦痛だと思う順に上から表に書き込んである表のことで…〈PTSD〉の治療に使われるものだ。白石先生の管理の(もと)で厳重に保管されている。

「姫野さん、マイナス思考になってますよー。初診の時からお伝えしてますが、何度でも言いますよ。〈PTSD〉の治療は数ヶ月で済む患者さんも居れば、数年かかる患者さんも居ます。姫野さんのペースで大丈夫です、確実に快方へは向かってますからね。自信持って下さい。」

「あっ、ごめんなさい。マイナス思考は無し、よし。それで先生。実は、私…。【話し合い】のあと、課長に『よく気を張ってましたね、お疲れ様でした。……はい、もう力抜いてもいいですよ。楽にして下さい。』って言われて…。そしたら一気に気が緩んじゃって、ホントに衝動的に課長の胸に飛び込んで泣いちゃったんですよね…。衝動的だったとはいえ、何てことしちゃったんだろうって思って…。でも、その後の課長の態度は普段通りでしたから、蒸し返すのも何か変ですし…。“変な女”って思われてたらどうしよう、先生。…とか言いながら…もうすでに、その失態は2回もあったんですけど…。」

自分でも分かる。
恥ずかしさから赤面してるだろうし、語尾も小さくなっていく。

「あら、そんなことがあったんですね。姫野さんが、その時…心理的に圧がかかっていたのは“課長さん”もそれまでの話の流れから察知してると思いますし、そのあと普段変わりないなら少なくとも“変な女”とは思ってないと思いますよ。ちなみに、2回目はどんな状況がきっかけで飛び込んじゃったんですか?」

「"強姦(ごうかん)事件"に巻き込まれたことは、さすがにまだ誰にも話せてないですけど…。それ以外の、『ストーカーに遭ったりナンパされてホテルに連れて行かれそうになったことがある。』って打ち明けた時に、課長が抱きしめててくれた上に一緒に泣いてくれました。私も合意のうえで。…業務中の何気ない会話だったんですけど、『課長のカミナリが落ちた。』と同僚が言ったのに…反応しちゃって。その流れで話したんです。体が震え出しちゃったこともあって…。」

「なるほど。それなら…なおさら"変な女だと思われた"なんて心配しなくていいと思いますけどね。それにしても、“課長さん”にそこまで話せたんですね。頑張りましたね。しかも一緒に泣いてくれたなんて…。姫野さん。とても安心したでしょう。共感してもらえて嬉しかったですね、それは。」

白石先生はニッコリしながら相槌(あいづち)を打って聞いてくれていた。

「はい。……あと先生。今日、柚ちゃんと鳴海部長と立花さんっていう女性の同僚の方と…ランチに行きました。社食に。……相変わらず。最初は周りの人の声が騒音に聞こえて、ちょっとパニックになりそうでしたけど自分で止められました。その後は、“私のことをよく思ってない人たち”が陰口言ってるのが聞こえてきて嫌でしたけど、立花さんたちが誘ってくれたのが嬉しかったので"本当に限界かも。"って思うところまで居てみようと思って試してみたら…ごはん食べ終わるまで居られました。」

「すごい。居られたんですね、人の多い所に。頑張りましたね。」

「誘ってもらえて嬉しかったですし、立花さんが『また誘うわね。』って言ってくれたことも嬉しかったです。」

「そうですね。鈴原さんと花森さん、泉さん以外の“仲良くできそうな同性の方”が増えて、よかったですね。私も嬉しいです。」
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