男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
12th Data 姉さんと、【裏】打ち合わせ ◆昴 side◆
午後8時30分――。
姫野さんの受診は滞りなく終わり、姉さんに飲み会の件は相談できただろうか?
食事を済ませ、洗い物を終えて手を止めた時…ふとそう思った。
そういえば…。
姫野さんの連絡先を聞くの忘れたな、明日聞くか…。
さて。もうひと仕事するか…。
目黒にある2DKのマンションが俺の自宅だ。
〔仕事部屋〕に場所を移そうと、ダイニングテーブルの上に置いたスマホに手を伸ばした時…ちょうどそれが震えた。
ヴー、ヴー、ヴー…。
…ん? 姉さんか…。
おそらく姫野さんに関する話だと思うし、俺も相談したかったからタイミング良かったけどな。
「もしもし、姉さん?」
「{…あっ、出た。…ってことは、帰ってきてんのね。あんたにしては珍しい、どうしたのよ?}」
「別に。今日は【会社じゃなきゃできない仕事】じゃなかったから持ち帰ってきただけだよ。」
「{あっ。じゃあ、邪魔した?今ちょっと話して大丈夫?}」
「あぁ、いいよ。むしろ、あと30秒遅かったらまた仕事始めてた。」
「{相変わらず“仕事人間”ね。家にまで持ち込んだら、また新一くんに怒られるんじゃないの?}」
“仕事人間”なのは…ほっとけよ、今さらだろ。
「2,3,4月と12月の繫忙期は“鳴海先輩”も何も言わねーよ。事実、忙しいんだから。…世間話や愚痴なら、今日のところは“奏士義兄さん”に聞いてもらってくれ。」
「{愚痴なら…。もちろん、“奏士くん”に聞いてもらうわよ…あんたより100倍優しいからね!…あー。待った待った。この4月から、昴の下で働いてる“雅ちゃん”のことで電話したの。}」
“雅ちゃん”って…。いいのかよ、呼び方。
「はいはい、惚気てんなよ。…で?“うちの姫野さん”がどうしたって?」
とりあえず、少々長くなりそうだから…座るか。
そう思い、俺はダイニングテーブルの傍にある椅子に腰を落ち着かせた。
「{本当は守秘義務もあるから、あまり話しちゃいけないんだけど…。昴…あんた、どこまで聞いたの?彼女の疾患について…と、【飲み会】の話は?}」
「どこまでって…。〈PTSD〉のことは、大学時代に【何らかの事件】に巻き込まれたことで発症して…。その後から男性…というか、まずは人間か。『人と関わることが怖くなった。』とは聞いたな。あと。男が女を口説く時の…いわゆる“男の顔”がものすごく苦手で、怒鳴り声や人混み…暗闇とか雷なんかも苦手だと言ってたな。」
「{…あら、予想以上にしっかり聞いてるじゃない。…本人が言ってた通りね。よっほど【安心】も【信頼】も置けたんでしょうね、あんたに対して。}」
俺がそう答えを返すと、電話の向こうの姉さんは驚きつつも安心した様子で、そんな言葉を返してきた。
「そうか?…俺は病院で子供に関わる姉さんや兄さんの真似しただけだよ。様子見てると"安心するんだろうな、みんな先生が好きなんだろうな"って分かるぐらい穏やかに接してるから、姫野さんにもそうしただけだよ。」
「{そうよー。忍や、他の男性ドクターなんて大変だったのよ。最初の4,5日は男性見ただけで怯えてて、忍の手も拒絶反応で叩いてたんだから。……あら、相変わらず【本質】見抜くのがお早いようで。嬉しいこと言ってくれるじゃない。……っていうか、いつ見てんのよ。PCのメンテナンス作業中なんて、あんた画面と睨めっこしてんじゃない。}」
「本人からも聞いてるが、相当だったんだな……。PCに作業の指示を出すのが俺の仕事ではあるけど、その作業ずっとしてるわけじゃねぇし。作業の指示出しときゃ、あとはPCが勝手にやるんだから待ってる間って意外と時間は持て余すんだぜ。」
「{そうよー。まぁ、それだけ…【大きなショックを受ける事件】なのよ。…他は?何か聞いた?……えっ、何かそんなに見られてたとか怖いんだけど。}」
「まぁ。今はそこ…どうでもいいよ。…で、話戻すけど。〈PTSD〉の原因になったっていう【事件】については、姫野さん本人が知られることを望んでない。彼女が望んでないものは聞けないし、聞く気も無い。…それ以外の『【事件】の後もストーカーに遭ったり、ナンパされてホテルに連れて行かれそうになったりしました。』ってことは言ってた。それと過呼吸についても教えてくれたよ。【追い詰められている気がする時】や【極度に緊張した時】、【男性に触れられた時】は発作がよく出て、酷い場合には蕁麻疹まで出るって言ってたか…。」
俺は姫野さんから聞いたことを一つ一つ思い出しながら、姉さんに伝える。
「{話せること、本当に全部…昴には話したのね。雅ちゃんに私たち"医療従事者以外でそんな相手ができた"ってことが…何よりも大きな前進だわ。……彼女が言ってたわよ?【人事異動の話し合い】の後、課長に『よく気を張ってましたね、お疲れ様でした。…はい、もう力抜いてもいいですよ。楽にして下さい。』って言われた途端に一気に気が緩んじゃって、ホントに衝動的に課長の胸に飛び込んで泣いちゃったんです。』って。}」
あぁ、泣いてたよ。
"アレ"を見て…"俺はこの人を放っておけない。…あぁ、惚れたんだな。"って自覚したんだから――。
「やっぱりあれは、本当に衝動的に勢いで飛び込んで来たんだな。…あぁ。泣いてたよ、確かに。…俺の腕の中で、思いっきりな。…けど、なんていうか。表現が難しいんだが、"アレ"が…抱きしめてやるのが【正解】なんじゃないかと思ったんだ…あの瞬間。…本当に気を張りつめてる感じだったから、あのタイミングで泣かせてやらなきゃ彼女が壊れるって…。理屈じゃない、直感だった。」
俺は"あの時"に感じた…緊張の糸がプツンと切れた"あの空気感"を、体の中から放り出すように姉さんに吐き出した。
「{昴……。あんたと雅ちゃんは似た者同士ね、たぶん。"何であんたが今張りつめてんのよ。"って思ったけど、彼女があんたにいち早く心開けそうって思ったのは…"これ"ね。ふふっ。嫌だと感じることや嬉しいと感じることが似てるわ、きっと。……抱きしめる、そうね。それが【正解】よ。彼女は相当安心したはずだもの。【ハグ】には人に安心と幸福感を与える効果があるからね。……ストーカー被害やナンパされてホテルに云々の話を聞いた時もそうでしょ?雅ちゃんの体が震え出したから抱きしめて、そのうえ一緒に泣いてあげたんでしょ?…嬉しかったんでしょうね。私にこの話をしてくれた時の彼女、すごく穏やかだったから。}」
どうやら、姉さんには伝わったようだ。
「そうか…。」
「{でもね。雅ちゃんが"人前で泣く時って、切羽詰まってて…自分じゃどうしようもない時"が多いの。…3分でも5分でも良いからこっそり泣かせてあげてほしい。彼女は泣くことで"頭と気持ちの整理"をしてるから。}」
「あぁ。」
「{逆を言えば、雅ちゃんは“我慢強くて限界が来ないと泣かない子”だから…。普段は気を張って、周りの空気も読んで…他者からの嫌味や妬みの"攻撃"にも耐えてるはず。本当は“とっても繊細な子”なのによ。だから…ちゃんと見ててあげて。}」
「あぁ、そのつもりだよ。彼女には…気持ちの整理をする時間が本当に必要なんだと思うから。…特に今は。俺は、姫野さんが泣いてる姿を複数回見てるからな。"アレ"を見て『冗談だ。』と思うわけがない。あの涙に【裏】はない。」
姫野さんの受診は滞りなく終わり、姉さんに飲み会の件は相談できただろうか?
食事を済ませ、洗い物を終えて手を止めた時…ふとそう思った。
そういえば…。
姫野さんの連絡先を聞くの忘れたな、明日聞くか…。
さて。もうひと仕事するか…。
目黒にある2DKのマンションが俺の自宅だ。
〔仕事部屋〕に場所を移そうと、ダイニングテーブルの上に置いたスマホに手を伸ばした時…ちょうどそれが震えた。
ヴー、ヴー、ヴー…。
…ん? 姉さんか…。
おそらく姫野さんに関する話だと思うし、俺も相談したかったからタイミング良かったけどな。
「もしもし、姉さん?」
「{…あっ、出た。…ってことは、帰ってきてんのね。あんたにしては珍しい、どうしたのよ?}」
「別に。今日は【会社じゃなきゃできない仕事】じゃなかったから持ち帰ってきただけだよ。」
「{あっ。じゃあ、邪魔した?今ちょっと話して大丈夫?}」
「あぁ、いいよ。むしろ、あと30秒遅かったらまた仕事始めてた。」
「{相変わらず“仕事人間”ね。家にまで持ち込んだら、また新一くんに怒られるんじゃないの?}」
“仕事人間”なのは…ほっとけよ、今さらだろ。
「2,3,4月と12月の繫忙期は“鳴海先輩”も何も言わねーよ。事実、忙しいんだから。…世間話や愚痴なら、今日のところは“奏士義兄さん”に聞いてもらってくれ。」
「{愚痴なら…。もちろん、“奏士くん”に聞いてもらうわよ…あんたより100倍優しいからね!…あー。待った待った。この4月から、昴の下で働いてる“雅ちゃん”のことで電話したの。}」
“雅ちゃん”って…。いいのかよ、呼び方。
「はいはい、惚気てんなよ。…で?“うちの姫野さん”がどうしたって?」
とりあえず、少々長くなりそうだから…座るか。
そう思い、俺はダイニングテーブルの傍にある椅子に腰を落ち着かせた。
「{本当は守秘義務もあるから、あまり話しちゃいけないんだけど…。昴…あんた、どこまで聞いたの?彼女の疾患について…と、【飲み会】の話は?}」
「どこまでって…。〈PTSD〉のことは、大学時代に【何らかの事件】に巻き込まれたことで発症して…。その後から男性…というか、まずは人間か。『人と関わることが怖くなった。』とは聞いたな。あと。男が女を口説く時の…いわゆる“男の顔”がものすごく苦手で、怒鳴り声や人混み…暗闇とか雷なんかも苦手だと言ってたな。」
「{…あら、予想以上にしっかり聞いてるじゃない。…本人が言ってた通りね。よっほど【安心】も【信頼】も置けたんでしょうね、あんたに対して。}」
俺がそう答えを返すと、電話の向こうの姉さんは驚きつつも安心した様子で、そんな言葉を返してきた。
「そうか?…俺は病院で子供に関わる姉さんや兄さんの真似しただけだよ。様子見てると"安心するんだろうな、みんな先生が好きなんだろうな"って分かるぐらい穏やかに接してるから、姫野さんにもそうしただけだよ。」
「{そうよー。忍や、他の男性ドクターなんて大変だったのよ。最初の4,5日は男性見ただけで怯えてて、忍の手も拒絶反応で叩いてたんだから。……あら、相変わらず【本質】見抜くのがお早いようで。嬉しいこと言ってくれるじゃない。……っていうか、いつ見てんのよ。PCのメンテナンス作業中なんて、あんた画面と睨めっこしてんじゃない。}」
「本人からも聞いてるが、相当だったんだな……。PCに作業の指示を出すのが俺の仕事ではあるけど、その作業ずっとしてるわけじゃねぇし。作業の指示出しときゃ、あとはPCが勝手にやるんだから待ってる間って意外と時間は持て余すんだぜ。」
「{そうよー。まぁ、それだけ…【大きなショックを受ける事件】なのよ。…他は?何か聞いた?……えっ、何かそんなに見られてたとか怖いんだけど。}」
「まぁ。今はそこ…どうでもいいよ。…で、話戻すけど。〈PTSD〉の原因になったっていう【事件】については、姫野さん本人が知られることを望んでない。彼女が望んでないものは聞けないし、聞く気も無い。…それ以外の『【事件】の後もストーカーに遭ったり、ナンパされてホテルに連れて行かれそうになったりしました。』ってことは言ってた。それと過呼吸についても教えてくれたよ。【追い詰められている気がする時】や【極度に緊張した時】、【男性に触れられた時】は発作がよく出て、酷い場合には蕁麻疹まで出るって言ってたか…。」
俺は姫野さんから聞いたことを一つ一つ思い出しながら、姉さんに伝える。
「{話せること、本当に全部…昴には話したのね。雅ちゃんに私たち"医療従事者以外でそんな相手ができた"ってことが…何よりも大きな前進だわ。……彼女が言ってたわよ?【人事異動の話し合い】の後、課長に『よく気を張ってましたね、お疲れ様でした。…はい、もう力抜いてもいいですよ。楽にして下さい。』って言われた途端に一気に気が緩んじゃって、ホントに衝動的に課長の胸に飛び込んで泣いちゃったんです。』って。}」
あぁ、泣いてたよ。
"アレ"を見て…"俺はこの人を放っておけない。…あぁ、惚れたんだな。"って自覚したんだから――。
「やっぱりあれは、本当に衝動的に勢いで飛び込んで来たんだな。…あぁ。泣いてたよ、確かに。…俺の腕の中で、思いっきりな。…けど、なんていうか。表現が難しいんだが、"アレ"が…抱きしめてやるのが【正解】なんじゃないかと思ったんだ…あの瞬間。…本当に気を張りつめてる感じだったから、あのタイミングで泣かせてやらなきゃ彼女が壊れるって…。理屈じゃない、直感だった。」
俺は"あの時"に感じた…緊張の糸がプツンと切れた"あの空気感"を、体の中から放り出すように姉さんに吐き出した。
「{昴……。あんたと雅ちゃんは似た者同士ね、たぶん。"何であんたが今張りつめてんのよ。"って思ったけど、彼女があんたにいち早く心開けそうって思ったのは…"これ"ね。ふふっ。嫌だと感じることや嬉しいと感じることが似てるわ、きっと。……抱きしめる、そうね。それが【正解】よ。彼女は相当安心したはずだもの。【ハグ】には人に安心と幸福感を与える効果があるからね。……ストーカー被害やナンパされてホテルに云々の話を聞いた時もそうでしょ?雅ちゃんの体が震え出したから抱きしめて、そのうえ一緒に泣いてあげたんでしょ?…嬉しかったんでしょうね。私にこの話をしてくれた時の彼女、すごく穏やかだったから。}」
どうやら、姉さんには伝わったようだ。
「そうか…。」
「{でもね。雅ちゃんが"人前で泣く時って、切羽詰まってて…自分じゃどうしようもない時"が多いの。…3分でも5分でも良いからこっそり泣かせてあげてほしい。彼女は泣くことで"頭と気持ちの整理"をしてるから。}」
「あぁ。」
「{逆を言えば、雅ちゃんは“我慢強くて限界が来ないと泣かない子”だから…。普段は気を張って、周りの空気も読んで…他者からの嫌味や妬みの"攻撃"にも耐えてるはず。本当は“とっても繊細な子”なのによ。だから…ちゃんと見ててあげて。}」
「あぁ、そのつもりだよ。彼女には…気持ちの整理をする時間が本当に必要なんだと思うから。…特に今は。俺は、姫野さんが泣いてる姿を複数回見てるからな。"アレ"を見て『冗談だ。』と思うわけがない。あの涙に【裏】はない。」