男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
彼のパッと見の印象は、ご本人には申し訳ないが…「ベビーフェイス」の一言が真っ先に出てくるだろう。【丸顔に大きな目】という2つのパーツによって、そんな印象を与えられるのかもしれない。
ただ。顔はベビーフェイスだが、ダークブラウンの髪色と額を見せるアップバングスタイルが決まっていて…"可愛いと言われるだけの男じゃないな"と印象づけられる。加えて、黒縁のスクエアフレームのメガネも…知的な印象を与えるのに大きな役割を果たしている。

「まだ皆さん来られてないですけどね。僕も【メンタル】は専門だから何かあれば対応します。遠慮なく言って下さい。」

「ありがとうございます、心強いです。……そうですね。団体で出てくると、『私も一緒に連れてって下さい。』って遠慮しない人間も居るので…。バラバラに来るよう伝えてあるんです。」

「なるほどー。じゃあ今日は、“本条さんの会社のモテる男女”がこれから来るわけだ。…あぁ、ごめんね。何かお作りしましょうか?」

「いや、モテるかどうかは分かりませんがね…。…せっかくですが、今日は車なので遠慮します。姉の【帰りの足】は必要でしょうし、姫野さんが体調不良を訴えたら対応できるようにしておきたいので。次回はぜひ頂きます。」

俺がアルコールを口にできない理由を説明すると、中瀬さんは納得の表情を見せ、「ウーロン茶で良いかい?それとも食前はコーヒーにする?」と聞いてくれたので、【中瀬さんがこだわって選んだであろうコーヒー】を【ブラック】で頂いた。

なんでも、ジャズを聴きながらスイーツを食べたいお客様のために用意しているのだとか。


……ん? そういえば。この店の食器、どこかで見たことある気がするな…。


「“良い男”だなぁ、本条さん。これは“なぎちゃん”が『自慢の弟だ。』って言いたいわけだ。女性への気配りをこんなにサラッとできちゃうんだから。」

普通じゃないか?
女性の【帰りの足】を心配するのは…。【飲みの席】だし。

「あ、自覚ないですね?…だから『一緒に連れて行って下さい。』って、女性が寄ってくるんでしょうね。……そういえば。“姫野さん”って言うんですね。クライアントのお名前。……ん?“姫野”?…って〔OQF〕の“YURIKA社長”と関係あったりします?」

あぁ、そういうことか…。

「中瀬さん、お店の食器って〔OQFブランド〕の物ですよね?」

「えぇ。もう3年ぐらい前ですけど、“なぎちゃん”から『アメリカで医学会あるけど、来る?』って誘われて行ったんです。その学会の後に、急きょ…レセプションパーティーに呼ばれて行ったんですよ。その会場で“YURIKA社長”にお会いして、もう話の流れは忘れましたけど…。『ジャズバー、経営してるんです。』って話したら『あら、そうなんですね。うちの主人が食器や家具のデザイナーをしてるんだけど作らせてもらえないかしら?…新作を作りたいらしいんだけど、スランプ気味で浮かばないらしくて。コンセプトがあれば出てきそうって言ってるんだけど…。』って、ちょっと食い気味に来られてね。」

「それで"困ってるなら…。"と思ってOKしたら、本当にこの店に合うものを新規でデザインして作って送ってくれたんですよ、2,3セット。…それで置いてみると男女問わず好評なので徐々に揃えていったんです。」

「なるほど、だからだったんですね。…それで話を戻すんですが、そちらのご令嬢です。これから来る“彼女”は。…ですが、うちの会社では本人の希望で伏せられているので…内密にお願いします。」

「…えっ、そうだったんですね!それはそれは。分かりました、そのあたりは大丈夫ですよ。」

俺の言葉に、彼は真剣に頷いてくれた。

「ところで、中瀬さん。あのピアノって演奏しても大丈夫ですか?……それから店内の写真って、中瀬さんが撮られたものですか?」

「もちろん。あのピアノは定期的に調律もお願いしてるものだし、うちのバーは"お客様同士が突然セッションし始める"って状況もよくありますし…大歓迎ですよ。ちなみに。ピアノの調律師は、白石奏士(そうし)さん…誰よりも信頼をおける方でしょう?……写真は旅行とか、それこそ学会とか行った時に僕が自分の一眼レフで撮ったものですよ。」

「はは。そうか、奏士(そうし)義兄(にい)さんが調律したなら間違いないな…。そして。写真も…青の洞窟、ヴェネツィア、モン・サン・ミシェル、グレート・バリア・リーフ、サグラダ・ファミリアなど良いものばかりですね。被写体から…撮影した時のこだわりを感じます。バックとの相性とか被写体のアングルとか。【ぜひともカラーで見せてもらいたい写真】が多数ありますね、店の雰囲気に合うように、白黒やセピア色にされてるんですけど。…あっ、すみません。俺も好きなんですよ、カメラ。…とは言っても、完全に趣味の範囲内ですし…ここ2,3年は仕事も忙しくて、近場でしか撮影できてないんですけどね。」

俺がそう言うと中瀬さんは一瞬驚いていたが、すぐに嬉しそうに表情を緩めて話に乗ってきた。

「あっ、そうなんですね!次回のご来店の時に予約して下されば、その日は自宅から写真を持ってきておきます。…カメラ談義ができる人は久しぶりだな。……本条さんはどんなものを?」

「俺も、建築物とか景色を撮るのが好きです。人は…あまり撮らないですね…。…とはいえ、日常的に振られる“カメラマン”の役割では撮りますけどね。」


――リンリン。

「課長、すみません。遅くなりました!…ちょっと3人でああでもない、こうでもないって迷っちゃって。」

中瀬さんとカメラ談義をしていたら、桜葉を筆頭にうちの“若手3人”が慌ただしく入ってきた。

「おう。桜葉、観月、津田…お疲れ様。ひとまず、座れよ。……会社からならそんなに迷うようなところないだろ。…すみません。何か急に騒がしくなって。部下の桜葉と観月と津田です。…3人とも、こちらがマスターの中瀬さんだ。」

「中瀬です、よろしく。ごめんね。うちの店、大通りに面してないから分かりにくかったでしょう。…3人とも元気だね、【若い力】ってすごい!」

「課長、あの服装って…これで大丈夫ですか?」

「はい。“エネルギシュな若手3人”にかなり助けてもらっています。……ビジネススーツから着替えたんだな。良いんじゃないか。ジャケットにチノパンだし、別におかしくはないぞ。不安なら、中瀬さんに聞いてみるといい。この店では中瀬さんが"ルール"だから。でも正直、観月は無地のシャツに…チェックとかストライプの柄物のジャケットで来る気がしてたよ。持ち物が洒落(しゃれ)てるから。そしたら、まさかの桜葉の方が【遊び心】を入れてきて、観月が【王道】の【白シャツ×黒ジャケット】とは。津田は、慣れてないだろうから【白シャツ×黒ジャケット】で来るとは思ってたけど。」

「3人とも着こなしバッチリだよ。桜葉さんの【黒地シルバーのストライプ×ライトグレージャケット】とカーキのチノパンっていうのがさ、また良いよね。白黒系でまとめつつ、差し色にカーキを持ってくるところが(いき)だと思うよ。」

中瀬さんの言葉を聞き、3人は心底安心したようだが、観月はその後…悔しそうにこう告げる。
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