男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「エクスポージャー療法とは。不安感が生じる場面を段階的に設定し、弱い刺激…刺激というのは今回の場合でいうなら、姫野さんが感じている【不安】を指します。…それで。そこから徐々に強い刺激へと段階的に上げていき、最終的にそれらの不安感や不安な状況を生じさせないようにしていくという治療法です。要は、あえて不安なことを再体験してもらうことで、"この行動に命を脅かすほどの危険は無いから怖くない"と脳や体に認識させていき、徐々に【不安】を取り除いていく手法になります。」
中瀬先生は、そこまで喋ると一呼吸の間を取って…また続きを話し始める。
「一つの段階をクリア…不安症状の軽減ができたら、さらに上の段階へと進めます。エクスポージャー療法には、 不安を感じる状況を目を瞑って想像し、その不安感と向き合い慣れていく【想像エクスポージャー】と、不安を感じる状況に出向き、実際に行動して不安を取り除いていく【現実エクスポージャー】という2種類の方法があります。」
「ということは…。先日、私たちが姫野さんと社員食堂で昼食を摂った時…人混みが苦手な彼女が社食に居たっていう【行動】そのものは、【現実エクスポージャー】の実施ということですか?」
「そういうことです、立花さん。」
中瀬先生は口角を上げて頷いていた。
「だから不安を感じつつも頑張ってたのね。もちろん『ランチ自体も楽しかった!』とは言ってもらえたので、それも本当だと思いますけど。……じゃあ、あの状況で姫野さんを笑顔にさせた本条課長ってやっぱりすごいですよね!…あの時の本条課長、カッコよかったです。」
「俺の話はいいって。立花さん。」
課長が少しだけ振り向くように首を回して、立花さんにそう言った。
ふふっ…。照れたんですね、課長。
「そうですね。…先ほど白石先生からお話していただいた通りだと思いますよ。また、本条さんは姫野さんがリラックスできるように話題を振ったりしていたのだろうなと想像します。」
「はい、本当に……。今まで『苦手なら無理して来るな。』とか、逆に人の多い所は苦手だと言ってるのに『黙って座っててくれればいいから来てよ。お願い!』って強制的に連れて行かれたり…。私の意思を聞いてくれる人が少なかったんです。友人にしろ、付き合ってきた恋人にしろ…。でも、本条課長は違いました。ちゃんと私の気持ちを聞いてくれたし、『姫野さんは”理由も無く動いてる人”じゃないからな、無意味に苦手な所には来ないだろう?』って“私”を見てくれたんです。」
立花さんの言葉に続いて、私も話を広げてみる。
「そんな方と、楽しく話しながらの昼食…。それは最初が憂鬱でも頑張れますね。」
「はい。それに課長は……。『苦手なのに来たってことは、"今"も頑張ってるな。気を張ってるだろ?』って、そこまで……分かってくれたんです。」
「それはまた…。嬉しいですね!姫野さん、今とても良い笑顔でいらっしゃいますね。これは周りの人を惹きつけそうだ。癒し効果があると思います。……本条さん、やりますねぇ。メンタル系の疾患がある方にとって、“共感してくれる人”や“自分の頑張りを認めて褒めてくれる人”は必要不可欠です。姫野さんにとってあなたがどれだけ大きな存在か…彼女のこの笑顔が物語ってます。」
「恐縮です。“中瀬ドクター”。」
「ははっ、"ドクター呼び"はそれこそ照れますよ。本条さん。……さて。姫野さん、お疲れかと思いますが…もう少し頑張れますか?」
本条課長からの振りに照れつつも、そのあと中瀬先生は私に静かなトーンでそう問い掛けてきた。
「はい、大丈夫です。先生。」
「それでは。過呼吸に陥りやすい状況などあれば、具体的に教えて下さい。」
「はい。【男性に触れられた時】や特に苦手な“下心アリでしつこく迫ってくる男性”と2人っきりとかで【極度に緊張した時】…。あとは…。同性からの嫌がらせを受けているんですが、向こうは複数で絡んでくるので【追い詰められている気がする】んですよね。…体がビクンってなったり、蕁麻疹も出たりします。……失神して倒れたこともあります。」
私がそこまで言うと、後ろで誰かが息を呑む気配がした。
「また"詳細をお聞きしたいこと"が出てきましたね。ですが、ひとまずは過呼吸に関することからお聞きしますね。そのほかの場面ではどうでしょうか?」
「あとは…体調が悪いと、人の声や周囲の音がそれほど大きくなくても騒音に聞こえることが多いので、周り人たちに『苦手なら来なきゃいいのに。』って煙たがられてから…居酒屋とかカラオケとか苦手になりました。行けなくはないですけど…。」
私はそこでいったん言葉を切って、意を決したように大きく息を吸い込んで…続きの言葉を発した。
「それから雷も、背後から人に声を掛けられることも苦手です。…雷は、先ほど中瀬先生にお伝えした【〈PTSD〉の原因となった事件】当日の天候が雷雨だったからです。それも影響してか…。暗闇も怖いです。…嫌なことが起こる時、雷雨が多いんです。…背後から人に声を掛けられるのが怖いのは…複数回【事件】後にストーカー被害にも遭ったことがあるからです…。」
私がそう言うと、「うそ…。ストーカー被害まで…。」と心配してくれている立花さんの声が後ろから聞こえてくる。
「そうでしたか……。大変でしたね、つらかったでしょう。……ストーカー被害に遭われたのは、いつ頃ですか?」
「頻度が高くなったのは大学生になってからですけど、高校の頃から実はあったんです。"誰かが後ろついて来るな、怖いな"ってことが…。結局、相手は先輩だったり同級生だったりしましたけど、一度言ったらちゃんとやめてくれる人ばかりでしたし、それ以上過激になることも無かったので問題にはしませんでした。」
「でも大学生になって……。いろんな女の子から『合コン来てよー。だって、雅(姫野さん)が来ると男子の集まり良くなるんだもん。』とか頻繁に言われて半ば強引に合コンに連れて行かれるようになりました。…そして、それからは男性が【後ろをついて来る】だけでは済まなくなることも増えました。何度も何度も拒絶しているのに……。」
「無理やり合コンに連れて行かれることも、男性に後ろをつけられるってこともよくあったんですね?…ふぅー。【姫野さんが来ると男性の集まり良くなる】か……。その、“大学時代にあなたを無理やり合コンに連れて行った女性たち”とは、それなりに…表面的にでも『仲が良かった。』と言えますか?」
あれ?…“彼女たち”のことを「友達」とは表現しないんだ。先生、ありがとう…。
「いいえ。“彼女たち”のことは…極めて苦手でした。大学時代に、本当に仲が良かったのは鈴原さんと…他2人の女性だけです。」
「…“その女性たち”の身勝手だったわけですね?……本当に勝手だ。あなたを何だと思っているのか…。」
中瀬先生が、とても【言葉】に気を遣って下さっていることが私には分かった。
そして彼の瞳は、【怒り】の感情が宿っている気がした。
中瀬先生は、そこまで喋ると一呼吸の間を取って…また続きを話し始める。
「一つの段階をクリア…不安症状の軽減ができたら、さらに上の段階へと進めます。エクスポージャー療法には、 不安を感じる状況を目を瞑って想像し、その不安感と向き合い慣れていく【想像エクスポージャー】と、不安を感じる状況に出向き、実際に行動して不安を取り除いていく【現実エクスポージャー】という2種類の方法があります。」
「ということは…。先日、私たちが姫野さんと社員食堂で昼食を摂った時…人混みが苦手な彼女が社食に居たっていう【行動】そのものは、【現実エクスポージャー】の実施ということですか?」
「そういうことです、立花さん。」
中瀬先生は口角を上げて頷いていた。
「だから不安を感じつつも頑張ってたのね。もちろん『ランチ自体も楽しかった!』とは言ってもらえたので、それも本当だと思いますけど。……じゃあ、あの状況で姫野さんを笑顔にさせた本条課長ってやっぱりすごいですよね!…あの時の本条課長、カッコよかったです。」
「俺の話はいいって。立花さん。」
課長が少しだけ振り向くように首を回して、立花さんにそう言った。
ふふっ…。照れたんですね、課長。
「そうですね。…先ほど白石先生からお話していただいた通りだと思いますよ。また、本条さんは姫野さんがリラックスできるように話題を振ったりしていたのだろうなと想像します。」
「はい、本当に……。今まで『苦手なら無理して来るな。』とか、逆に人の多い所は苦手だと言ってるのに『黙って座っててくれればいいから来てよ。お願い!』って強制的に連れて行かれたり…。私の意思を聞いてくれる人が少なかったんです。友人にしろ、付き合ってきた恋人にしろ…。でも、本条課長は違いました。ちゃんと私の気持ちを聞いてくれたし、『姫野さんは”理由も無く動いてる人”じゃないからな、無意味に苦手な所には来ないだろう?』って“私”を見てくれたんです。」
立花さんの言葉に続いて、私も話を広げてみる。
「そんな方と、楽しく話しながらの昼食…。それは最初が憂鬱でも頑張れますね。」
「はい。それに課長は……。『苦手なのに来たってことは、"今"も頑張ってるな。気を張ってるだろ?』って、そこまで……分かってくれたんです。」
「それはまた…。嬉しいですね!姫野さん、今とても良い笑顔でいらっしゃいますね。これは周りの人を惹きつけそうだ。癒し効果があると思います。……本条さん、やりますねぇ。メンタル系の疾患がある方にとって、“共感してくれる人”や“自分の頑張りを認めて褒めてくれる人”は必要不可欠です。姫野さんにとってあなたがどれだけ大きな存在か…彼女のこの笑顔が物語ってます。」
「恐縮です。“中瀬ドクター”。」
「ははっ、"ドクター呼び"はそれこそ照れますよ。本条さん。……さて。姫野さん、お疲れかと思いますが…もう少し頑張れますか?」
本条課長からの振りに照れつつも、そのあと中瀬先生は私に静かなトーンでそう問い掛けてきた。
「はい、大丈夫です。先生。」
「それでは。過呼吸に陥りやすい状況などあれば、具体的に教えて下さい。」
「はい。【男性に触れられた時】や特に苦手な“下心アリでしつこく迫ってくる男性”と2人っきりとかで【極度に緊張した時】…。あとは…。同性からの嫌がらせを受けているんですが、向こうは複数で絡んでくるので【追い詰められている気がする】んですよね。…体がビクンってなったり、蕁麻疹も出たりします。……失神して倒れたこともあります。」
私がそこまで言うと、後ろで誰かが息を呑む気配がした。
「また"詳細をお聞きしたいこと"が出てきましたね。ですが、ひとまずは過呼吸に関することからお聞きしますね。そのほかの場面ではどうでしょうか?」
「あとは…体調が悪いと、人の声や周囲の音がそれほど大きくなくても騒音に聞こえることが多いので、周り人たちに『苦手なら来なきゃいいのに。』って煙たがられてから…居酒屋とかカラオケとか苦手になりました。行けなくはないですけど…。」
私はそこでいったん言葉を切って、意を決したように大きく息を吸い込んで…続きの言葉を発した。
「それから雷も、背後から人に声を掛けられることも苦手です。…雷は、先ほど中瀬先生にお伝えした【〈PTSD〉の原因となった事件】当日の天候が雷雨だったからです。それも影響してか…。暗闇も怖いです。…嫌なことが起こる時、雷雨が多いんです。…背後から人に声を掛けられるのが怖いのは…複数回【事件】後にストーカー被害にも遭ったことがあるからです…。」
私がそう言うと、「うそ…。ストーカー被害まで…。」と心配してくれている立花さんの声が後ろから聞こえてくる。
「そうでしたか……。大変でしたね、つらかったでしょう。……ストーカー被害に遭われたのは、いつ頃ですか?」
「頻度が高くなったのは大学生になってからですけど、高校の頃から実はあったんです。"誰かが後ろついて来るな、怖いな"ってことが…。結局、相手は先輩だったり同級生だったりしましたけど、一度言ったらちゃんとやめてくれる人ばかりでしたし、それ以上過激になることも無かったので問題にはしませんでした。」
「でも大学生になって……。いろんな女の子から『合コン来てよー。だって、雅(姫野さん)が来ると男子の集まり良くなるんだもん。』とか頻繁に言われて半ば強引に合コンに連れて行かれるようになりました。…そして、それからは男性が【後ろをついて来る】だけでは済まなくなることも増えました。何度も何度も拒絶しているのに……。」
「無理やり合コンに連れて行かれることも、男性に後ろをつけられるってこともよくあったんですね?…ふぅー。【姫野さんが来ると男性の集まり良くなる】か……。その、“大学時代にあなたを無理やり合コンに連れて行った女性たち”とは、それなりに…表面的にでも『仲が良かった。』と言えますか?」
あれ?…“彼女たち”のことを「友達」とは表現しないんだ。先生、ありがとう…。
「いいえ。“彼女たち”のことは…極めて苦手でした。大学時代に、本当に仲が良かったのは鈴原さんと…他2人の女性だけです。」
「…“その女性たち”の身勝手だったわけですね?……本当に勝手だ。あなたを何だと思っているのか…。」
中瀬先生が、とても【言葉】に気を遣って下さっていることが私には分かった。
そして彼の瞳は、【怒り】の感情が宿っている気がした。