男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「そういえば。姫野さんのご両親から、アメリカやパリの調味料とかお菓子とか送られてきたことあったわね。『雅がお世話になってます。』って。」
「白石先生、その節はすみません。『ドクターに個人的に物を送るなんてダメなのよ。』とは言ってるんですけど。」
姫野さんが、申し訳なさそうに姉さんにそう告げる。
「病院で特定のスタッフが患者さんに貰うのはダメだけど、百合花さんは我が家に送って下さってるから問題無いわよ?大丈夫。奏士くんなんて、海外の物好きだから喜んでるしね。」
確かに、奏士義兄さんは喜びそうだな。
「まぁ。何はともあれ、姫野さんがご家族と仲良さそうでよかったわ。〈PTSD〉の話をしてる時、あまりにもご家族の話題が出てこないから…いろいろ心配したのよ。内心ね。でも、全ての【事情】を聞いて納得したんだけどね。」
「…あっ。すみません、立花さん。そうですよね、なかなか話題に出てこないと"どうしたんだろう"って思いますよね。ご心配をおかけしました。…そういう【事情】でした。」
「それで、何かあったら…今までだと鈴原さん家に行く感じだった?」
「そうですね、あとは白石先生のお宅にお邪魔したことも何度か…。“院長先生”も、そこは『鈴原さんぐらい気心知れた仲なら安心だが、そうでない人のところに行くのであれば渚の家に身を寄せなさい。今の姫野さんには【不安】が一番"毒"だから。』と…許可して下さったので。」
立花さんの問いにそう答える姫野さん。
「百合花さんと雅輝さんにあれだけ頭下げられて頼み込まれたら、逆に『預かりますからお仕事してきて下さい。』って言っちゃうわよね、柚奈ちゃん。」
「そうですね、白石先生。それに、うちは高校の頃から姫ちゃん家とは家族ぐるみで仲良いですからね。」
「そっか。そうよね、付き合いが浅い人のところには行けないものね。」
そうか。情緒が不安定になる時は…鈴原の家か、姉さんの家に居るようにしてるのか。
それが姫野さんにとって一番安心だろうな。さすが父さん。
そして話の流れは、【会社での姫野さんの様子】に関しての話題へと移っていく――。
姫野さんが元常務秘書で、この4月から〔開発営業部〕に異動になったこと――。
トラウマがあり男性が苦手にもかかわらず、常務からの過度なアプローチに耐え続けたが…これ以上はと思い、1年前から異動を希望していたこと――。
“常務に好意を抱いている女”たちから、幾度となく【嫌がらせ】を受けてストレスを感じていること――。
姫野さん自身の業務スキルも見ていない段階で、「女だからPCの知識なんて…それほど無いでしょう?」と、男性社員から見下す発言をされるなど…【言葉の暴力】も酷いということ――。
それらのことを、姫野さんは中瀬さんに包み隠さず話していた。
「………それ、本当ですか!?…ロッカーに故意に背中ぶつけられたり、レセプションパーティー用のドレス切り刻まれていたり…。…姫野さん。あなたって人は…そんな劣悪な環境で、どれほど忍耐強く頑張ってきたんですか…。これは〈PTSD〉が慢性化してしまうのも当然ですし、過呼吸も起こると思いますよ。……本当に、とてもよく頑張りましたね。姫野さん、私はあなたの主治医ではないので診断や治療について言える立場ではありませんが、お伝えしておきたいことが…。」
「何でしょうか、中瀬先生。」
そう姫野さんが続きを促すと、彼は表情を引き締めてこう告げる。
「今の姫野さんの〈PTSD〉の重症度は、【重度】です。これはもう【1人で耐える】とか【1人で頑張って乗り越える】とかそういったレベルの状態ではない…完全に【治療する】レベルです。まずそのことを、改めて頭に認識させて下さい。」
「…は、はい!」
ピリッとした緊張感が走り、この場が引き締まるのが分かる。
「今のあなたに必要なのは、精神の専門医と心身の休息、そして“絶対に姫野さんを肯定的に受け止めてくれる理解者”です。姫野さん、会社でも1人で立ち向かうのが難しかったら、ここに居る皆さんに頼って良いです。"怖い!"と感じた場所から逃げて良いです。頑張れそうな余力があれば、本条さんを呼びに行って下さい。大丈夫、鳴海さんと本条さんは特に姫野さんの味方で居てくれます。」
「はい。」
凛とした声で、姫野さんはしっかりと返事をしていた。
しかし、そこにはほんの少し【不安】が混ざっているように思えた。彼女の横顔を盗み見た時、瞳が揺れていたからだ。
だから俺は「少し手に触れるな。」と前置きした上で彼女の手を握り「大丈夫だ、俺は絶対に姫野さんの味方で居るから。」と言ってやった。すると彼女はハッと息を吞み、その後すぐに俺を見つめて「ありがとうございます、課長。」と破顔した。
その時、"クスッ!"と小さく笑っている姉さんが視界の端に映った気がしたが…反応するとそれに対する返しが面倒くさいから、あえて触れない。
「……鳴海さん、本条さん。まずは姫野さんが常務さんから離れられるように環境改善していただき、ありがとうございます。常務さんから離れることができたなら、最初の一歩としては上々でしょう。…その常務さんが、“鳴海さんのお兄さん”というのが驚きでしたが…。」
「はい、お恥ずかしい限りですが……。いえ、とんでもない。姫野さんの異動の件は、私は傍観者でしたから。我が社の社長である私の父や、専務である“一番上の兄”も常務の女癖の悪さは知っていて、彼女が気がかりだったようです。……重役全員と重役秘書たちの“お気に入り”でしたからね、姫野さん。」
「鳴海部長、そんなことは……。」
姫野さんはそんな謙遜の言葉を口にし、頬を赤らめていた。
「あるんですよ、姫野さん。そして、本条がうちの部に彼女が欲しいと言ったのも重なり…掛け合いましたが、常務以外は二つ返事で異動を承諾していましたよ。最終的に常務と少々揉めて…その時、上手く話をまとめたのは本条でしたから。」
「なるほど。やはり姫野さんは、人間性の意味でも業務的な意味でもスキルが高いようですね。それは会社としても手放したくないでしょうから【異動】にしたんでしょうね。そして本条さんも……。まぁ。本条さんの【交渉術】は先ほど十分に見せていただきましたが…。」
「まぁ。俺の話は…もういいです、“中瀬ドクター”。先に進めて下さい。」
俺は、話の続きを促した。
「はは。本条さんは本当に、“目立ちたがらない人”だな…。……さて。あまりやりすぎても怒られるので、話を進めるとして。〔美島運送〕のご令嬢と複数の人間が、あなたのことをイジメているというお話でしたが…あとはどなたが?」
「〔美國家具〕の令嬢と、〔WEST GARDEN HOTEL〕の令嬢ですね。」
「なるほど、どちらもそれなりに大きな企業ではあるね。でも〔OQF〕を敵に回せるような会社でもない。」
姫野さんの回答を聞き、中瀬さんは控えめにニヤリと笑った。
あー。この人も、俺や“鳴海先輩”…そして姫野さんと【同類】だな。
人間は【"異性"と"金"と"酒"が絡むと欲が出る】というのを、よく理解している…そんな顔だ。
普段は紳士だが、金銭が絡んだ【ビジネスの裏】の話なんかをした時はブラックな部分も顔を出したりするのだろう。
「白石先生、その節はすみません。『ドクターに個人的に物を送るなんてダメなのよ。』とは言ってるんですけど。」
姫野さんが、申し訳なさそうに姉さんにそう告げる。
「病院で特定のスタッフが患者さんに貰うのはダメだけど、百合花さんは我が家に送って下さってるから問題無いわよ?大丈夫。奏士くんなんて、海外の物好きだから喜んでるしね。」
確かに、奏士義兄さんは喜びそうだな。
「まぁ。何はともあれ、姫野さんがご家族と仲良さそうでよかったわ。〈PTSD〉の話をしてる時、あまりにもご家族の話題が出てこないから…いろいろ心配したのよ。内心ね。でも、全ての【事情】を聞いて納得したんだけどね。」
「…あっ。すみません、立花さん。そうですよね、なかなか話題に出てこないと"どうしたんだろう"って思いますよね。ご心配をおかけしました。…そういう【事情】でした。」
「それで、何かあったら…今までだと鈴原さん家に行く感じだった?」
「そうですね、あとは白石先生のお宅にお邪魔したことも何度か…。“院長先生”も、そこは『鈴原さんぐらい気心知れた仲なら安心だが、そうでない人のところに行くのであれば渚の家に身を寄せなさい。今の姫野さんには【不安】が一番"毒"だから。』と…許可して下さったので。」
立花さんの問いにそう答える姫野さん。
「百合花さんと雅輝さんにあれだけ頭下げられて頼み込まれたら、逆に『預かりますからお仕事してきて下さい。』って言っちゃうわよね、柚奈ちゃん。」
「そうですね、白石先生。それに、うちは高校の頃から姫ちゃん家とは家族ぐるみで仲良いですからね。」
「そっか。そうよね、付き合いが浅い人のところには行けないものね。」
そうか。情緒が不安定になる時は…鈴原の家か、姉さんの家に居るようにしてるのか。
それが姫野さんにとって一番安心だろうな。さすが父さん。
そして話の流れは、【会社での姫野さんの様子】に関しての話題へと移っていく――。
姫野さんが元常務秘書で、この4月から〔開発営業部〕に異動になったこと――。
トラウマがあり男性が苦手にもかかわらず、常務からの過度なアプローチに耐え続けたが…これ以上はと思い、1年前から異動を希望していたこと――。
“常務に好意を抱いている女”たちから、幾度となく【嫌がらせ】を受けてストレスを感じていること――。
姫野さん自身の業務スキルも見ていない段階で、「女だからPCの知識なんて…それほど無いでしょう?」と、男性社員から見下す発言をされるなど…【言葉の暴力】も酷いということ――。
それらのことを、姫野さんは中瀬さんに包み隠さず話していた。
「………それ、本当ですか!?…ロッカーに故意に背中ぶつけられたり、レセプションパーティー用のドレス切り刻まれていたり…。…姫野さん。あなたって人は…そんな劣悪な環境で、どれほど忍耐強く頑張ってきたんですか…。これは〈PTSD〉が慢性化してしまうのも当然ですし、過呼吸も起こると思いますよ。……本当に、とてもよく頑張りましたね。姫野さん、私はあなたの主治医ではないので診断や治療について言える立場ではありませんが、お伝えしておきたいことが…。」
「何でしょうか、中瀬先生。」
そう姫野さんが続きを促すと、彼は表情を引き締めてこう告げる。
「今の姫野さんの〈PTSD〉の重症度は、【重度】です。これはもう【1人で耐える】とか【1人で頑張って乗り越える】とかそういったレベルの状態ではない…完全に【治療する】レベルです。まずそのことを、改めて頭に認識させて下さい。」
「…は、はい!」
ピリッとした緊張感が走り、この場が引き締まるのが分かる。
「今のあなたに必要なのは、精神の専門医と心身の休息、そして“絶対に姫野さんを肯定的に受け止めてくれる理解者”です。姫野さん、会社でも1人で立ち向かうのが難しかったら、ここに居る皆さんに頼って良いです。"怖い!"と感じた場所から逃げて良いです。頑張れそうな余力があれば、本条さんを呼びに行って下さい。大丈夫、鳴海さんと本条さんは特に姫野さんの味方で居てくれます。」
「はい。」
凛とした声で、姫野さんはしっかりと返事をしていた。
しかし、そこにはほんの少し【不安】が混ざっているように思えた。彼女の横顔を盗み見た時、瞳が揺れていたからだ。
だから俺は「少し手に触れるな。」と前置きした上で彼女の手を握り「大丈夫だ、俺は絶対に姫野さんの味方で居るから。」と言ってやった。すると彼女はハッと息を吞み、その後すぐに俺を見つめて「ありがとうございます、課長。」と破顔した。
その時、"クスッ!"と小さく笑っている姉さんが視界の端に映った気がしたが…反応するとそれに対する返しが面倒くさいから、あえて触れない。
「……鳴海さん、本条さん。まずは姫野さんが常務さんから離れられるように環境改善していただき、ありがとうございます。常務さんから離れることができたなら、最初の一歩としては上々でしょう。…その常務さんが、“鳴海さんのお兄さん”というのが驚きでしたが…。」
「はい、お恥ずかしい限りですが……。いえ、とんでもない。姫野さんの異動の件は、私は傍観者でしたから。我が社の社長である私の父や、専務である“一番上の兄”も常務の女癖の悪さは知っていて、彼女が気がかりだったようです。……重役全員と重役秘書たちの“お気に入り”でしたからね、姫野さん。」
「鳴海部長、そんなことは……。」
姫野さんはそんな謙遜の言葉を口にし、頬を赤らめていた。
「あるんですよ、姫野さん。そして、本条がうちの部に彼女が欲しいと言ったのも重なり…掛け合いましたが、常務以外は二つ返事で異動を承諾していましたよ。最終的に常務と少々揉めて…その時、上手く話をまとめたのは本条でしたから。」
「なるほど。やはり姫野さんは、人間性の意味でも業務的な意味でもスキルが高いようですね。それは会社としても手放したくないでしょうから【異動】にしたんでしょうね。そして本条さんも……。まぁ。本条さんの【交渉術】は先ほど十分に見せていただきましたが…。」
「まぁ。俺の話は…もういいです、“中瀬ドクター”。先に進めて下さい。」
俺は、話の続きを促した。
「はは。本条さんは本当に、“目立ちたがらない人”だな…。……さて。あまりやりすぎても怒られるので、話を進めるとして。〔美島運送〕のご令嬢と複数の人間が、あなたのことをイジメているというお話でしたが…あとはどなたが?」
「〔美國家具〕の令嬢と、〔WEST GARDEN HOTEL〕の令嬢ですね。」
「なるほど、どちらもそれなりに大きな企業ではあるね。でも〔OQF〕を敵に回せるような会社でもない。」
姫野さんの回答を聞き、中瀬さんは控えめにニヤリと笑った。
あー。この人も、俺や“鳴海先輩”…そして姫野さんと【同類】だな。
人間は【"異性"と"金"と"酒"が絡むと欲が出る】というのを、よく理解している…そんな顔だ。
普段は紳士だが、金銭が絡んだ【ビジネスの裏】の話なんかをした時はブラックな部分も顔を出したりするのだろう。