男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「へぇ、読み聞かせのボランティアか…。確かに、さっきの本条課長の姪っ子さん、花純(かすみ)ちゃんでしたっけ?…相手にするの上手かったですもんね。似合いそう。」

「そう?観月くん。まぁ、子供が大好きなのは間違いないけどね。……それでね。大学に入ってからは、高校の頃にやってたことプラス…【読書をすることで得られる良いこと】とか【読書が苦手な人の心理】とかを調べて卒論にしたり、洋書の翻訳会したり翻訳ボランティアしてたよ。」

へぇ、良い活動だな…。

「もちろん、【ひたすら好きな本を読む日】もちゃんと設定してた…高校・大学ともにね。」

そう語る姫野さんの表情は、晴れやかだ。

「本当に読書が好きなのね…。あと、花とか…自然とか、音楽もか。……今日分かったことは、あなたはやっぱり静かな所や時間がゆっくりと流れる環境の方が良いみたい。姫野さんと津田くんの歓迎会するなら、そのあたりも考えるように幹事になる人には伝えなきゃね!」

「立花さん、いろいろ考えて下さってありがとうございます。さすがです。」

その後も観月や桜葉…そして津田から、"九条作品"について聞かれていたり、ドライブについて聞かれていたりと話題が途切れることはなかった。
そしてその話題一つ一つを姫野さんは拾い上げ、丁寧に答えていた。

「あの、中瀬さん…。」

「うん?どうしました?姫野さん。」

「お店に入った時から、実はとっても釘付けになっていたんですが、店内に飾られてる写真は…中瀬さんが?」

「あっ!そうだったんですか?…嬉しいですね、そう言っていただけると。はい、僕が一眼レフで撮ったものです。」

「青の洞窟、ヴェネツィア、モン・サン・ミシェル、グレート・バリア・リーフ、サグラダ・ファミリア……素敵な写真ばかりですね。表現が難しいですけど…。アングルとか好きですよ、こだわりが感じられるので。"きっと穏やかな気持ちで…でも、構図とかすごく考えて撮られたんじゃないかな"と…。実際の自然の中に居るのは、もちろん好きですけど…なかなか行けない所とか見るのが難しい景色なんかは、"写真で見る"ってことも好きなんです。カラー写真で見てみたいですね。」

…っ!今は俺じゃなく中瀬さんの作品を褒めてる。
だが…。今この瞬間に、さっきまでの比じゃないぐらい…彼女に惹かれていくのが分かる。

中瀬さんの作品でこれだけ感想を口にしてくれるなら、俺が撮ったものもきっと――。


姫野さんは逃しちゃいけない。


俺の本能が、そう叫んでいる……。


中瀬さんは意味深げな笑みを、俺に向けてくる。
これは一見、姫野さんに向けられた笑顔に見えるが、違うな。
俺が"カメラ好き"であることをここで明かすかどうか、探りが入ってる…。

それに気づき、"ここに居る全員が知らなくてもいいことだな"と思った俺は、"明かさなくていい"と首を小さく横に振った。

「ありがとうございます。写真を見ただけで、その奥にある…僕のこだわりとか感情まで読み取ってくれる方にはそうそうお会いしないので驚きました。常連のお客様の中でも、『カラー写真で見たいですね。』って…希望される人は居ますけど。」

「分かります、伝わってきますよ。……私、人の手から【生み出されたもの】って絶対にそれに関わった人たちの気持ちが宿ってると思うんです。だから、人それぞれ表現する方法もフォーカスするところも違って素敵なものになってると思うんです。」

「姫野さん……。ありがとうございます。あなたこそ、素敵な感性をお持ちのようですね。さすが“YURIKA社長”と“Masaki副社長”のご息女ですね。……次回ご来店いただいた時には、カラー版をお見せできるようにしておきます。」

セッションを終えた後は、終始こんな和やかな雰囲気で姫野さんは全員と話せるように上手く立ち回っていた。


「さて。いくら明日が土曜日で、〔営業〕は休みと言えど10時半回ったから…そろそろ、一度【お開き】にしようか。姫野さんや鈴原は気疲れしてるかもしれないし、乗り継ぎが少々大変な奴もいるし。」

「そうですね、お気遣いありがとうございます。本条課長。」

俺がそう言って静かにスツールから降りると、姫野さんと鈴原が同時に声を掛けられる。

「中瀬さん、【チェック】お願いします。」

「はいはーい、ちょっと待ってね。」

「チェック?何か忘れてる人居ますっけ?」

そんなことを言いながら、キョロキョロしているのは津田だった。

はは。そうだよな…。聞き慣れないと…そうなるよな、津田。

「ふふっ。かわいい、津田くん。…あのね、この場合の【チェック】はお会計のことよ。バーとか、海外スタイルのお店なんかでは使われることもある言葉だから覚えておいて損はないと思うよ。」

「あっ、そうなんですね!お会計のことかぁ…勉強になります。」

「ホント、“雅姉さん”って何でも知ってるからビックリします。」

大袈裟(おおげさ)よ、観月くんったら。何でもじゃないし。」

「えっと。テーブルチャージが500,食事代1100,酒代が700×3杯の…今日は姫野さん頑張ってたし、“なぎちゃん”来てくれたから10%OFFの11名様で、40,293円だけど…姫野さんと本条さんがアルコール飲んでなくて300円ずつ安いから、38,493円になります。」

「カードで。……ご馳走様でした、中瀬さん。」

(かしこ)まりました。……ご来店ありがとうございました。お粗末様でした。鳴海さん、皆さん。」

「ご馳走様でした、ありがとうございました。中瀬さん。」

それぞれが中瀬さんに礼を言う。

(けい)(しゅう)は、後で"10,000"ずつ回収な。昴は今日飲んでないから5,000円でも良いけど…。」

いやいや、今日は出しますよ。この人数だし。

「はい、分かりました。」

「いえ。"10,000"出しますよ、俺も…。」

「言うと思ったよ。じゃ、お釣りは昴に返すとして…。また今度飲みに行くとしますか!……さて、帰るよ。みんな!」

「えぇっ!?出しますよ、部長。」

「そうよ、新一くん。悪いわ。」

「何言ってるんですか、渚さん。渚さんのおかげで割引いてもらったんですから。十分ですよ。あとの女性陣も、今日は管理職にご馳走させてね。……観月くんと桜葉くんは、今度津田くんと飲みに行く時に(おご)ってあげな。」

「鳴海部長…。」

呆気に取られてないで礼を言えよ、3人とも。

「鳴海部長、ご馳走様です。このお礼はお菓子かお酒で…。後日。」

そう、下手に「出します!」って食い下がられるより…姫野さんみたいに、この場は笑顔で「ご馳走様でした、ありがとうございました。」って言ってくれた方が良い時もある。

「さすが姫野さん、分かってる。お菓子のお礼?…いいのに、ホントに気にしなくて。」

「でも。せっかく先ほど話題に出てきたことですし、食べてほしいです。」

姫野さん、本当に切り返しが絶妙だな。
男を立てつつ…礼はきっちり約束してるが、全然恩着せがましくない。
こう言われれば、男性側(こちら)も礼を受け取りたくなるものだ。
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