男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
私は、この笑顔にどれだけ救われたんだろう――。

5年前の…あの【強姦(ごうかん)事件】に()った後、家族以外で一番最初に寄り添ってくれたのは他の誰でもない…院長先生と白石先生だ。

自宅近くのクリニックからの紹介とはいえ、大きな病院に行くよう勧められ…大きな不安に襲われた私と母に〈PTSD〉という明確な診断結果と、その後の治療方針や日常生活の中での"疾患との向き合い方"を具体的に示してくれた院長先生には…いくら感謝してもし足りない。

ちなみに。ちょうど初診から3回目までは、院長先生から白石先生に徐々に受け持ちの患者さんを移行していこうとしていた時期だったようで、院長先生の診察に白石先生が同席している形だった。

そんな本条 徹(ほんじょう とおる)院長先生の印象は“温厚な人”…でも、“芯のある人”といった感じ。

少々面長なフェイスラインに、ほどよく主張するがバランスの取れた顔のパーツ。特に、【きれいなアーモンド型で少し目尻が下がっている瞳】は印象的だ。
この目尻の下がっている瞳は、“温厚な人”を印象付けるのに絶対一役買っている。
髪は若干の白髪が混ざっている黒髪で、七三分けだ。身長は本条課長より2,3cm低いんじゃないだろうか。

よく【父親役】や【上司役】でドラマに出ている俳優さんに似ている。

患者さんにも病院のスタッフさんにも、基本的には優しくユーモラスと評判の院長先生。
そんな先生が、【威厳】を発揮するのは…【患者さんに急変があった時】と【論文を書いて世に出す時】だという。
大人相手には冷静に理論的に話し…子供相手には優しく諭すように話している院長先生だけど、『本人は【会話のパターン】をいくつか常に考えながら話しているんじゃないかな。』という風に白石先生からは聞いていたりもする。

本条課長の…冷静沈着で頭の回転が速く、切り返しが上手いところは、お父様に似たんだと思う。

「ありがとうございます、院長。大変恐縮ですが、ここでこの後の役割分担を打ち合わせさせて下さい。」

「あぁ。ここで良ければ、使ってもらって構わない。今日はこの後、来客の予定もないから。」

「ありがとうございます。…というわけで、打ち合わせに入るが…。姫野さん、どこに落ち着く?一緒には座れそうか?それとも院長の隣の1人掛けソファーに座るか?」

「そうします…。そちら側に座れなくて申し訳ありません。」

「いや、今日はリラックスして業務にあたる方が大切だ。姫野さんと津田の初営業だからな。…焦ることはない。2人掛けのソファーとかに男性と座ることも、シーンとしてはあるから慣れていってはほしいが…それは【今日のマスト】じゃない。一つ一つやっていこう。」

「課長……。はい、ありがとうございます。」

「姫野さんは院長の隣に座るとして、3人掛けのソファーに男性4人は窮屈(きゅうくつ)だろうから、隣の僕の部屋から椅子持ってくるよ。ちょっと待っててね。」

私たちにそう一言断ってから、本条先生はいったん〔院長室〕を後にした。

「しかし驚いたな、“姫野さん”との接し方…自然だった。この様子だと彼女の【事情】についても知らされていて、少なくとも半分以上は理解を進めたようだな…昴。そうでなければ、今のような言葉は出てこないだろうから…。」

「あぁ。〈PTSD〉のことやそれについての対処法なんかは、姉さん同席のもと聞かせてもらったよ。……そうだな、7割ぐらいは話してもらったんじゃないかと思ってる。」

7割? とんでもない…!
"あの時"の課長の"あの表情"は【確信した顔】でしたよ。
だから、おそらく9割ご理解いただいたのだと思っていますけど…。

「いいえ。本条課長、私としては9割話していますよ。そして課長ならきっと…その9割を"ご理解いただいているのでは?"と思っていますよ。〈PTSD〉の発症原因になった出来事についても…中瀬先生との話の中で見当が付いたのでしょう?【確信的な"答え"が分かった顔】でしたよ。あれは。」

「そうなのか?…なら、良かったがな。……そうだな、あなたにフラッシュバックで苦しんでほしくないし、口には出さないが…。"【ああいうこと】があったんじゃないか?"ぐらいの予測できることはある。」

「中瀬くん?…あー。そういえば、『彼のお店で話した。』と渚が言っていたな。」

院長先生が少し驚いた顔をした後、思い出したように中瀬さんのことを口にした。

「えっ。それって【ストーカー事件】とか、元彼との【関係】じゃなくてですか?」

津田くんが"思わず"といった感じで会話に入ってきた。

まぁ、(にご)して伝えたからね…。分からなくて当然だと思う。
いつか、私が【事実】を話せるようになってタイミングが合えば…か、あなたたちが今よりもう少し精神的に大人になったら話せるかもね。

まだ3人とも垢抜けきれてない感じだしさー。津田くんなんて特にだけど…。
でも、私としては彼にはもう2年ぐらい今のままでいてほしい…スレないでほしいなー。

「それもあるけど…。それが根本的な【原因】ではないのよねー。」

自分でそんな言葉を言っておきながら、私は少しセンチメンタルな気分の方に気持ちが流れていきそうになり…ハッとした。

「ストーップ!!『あえて濁して伝えてるところの詮索は無し。』って中瀬マスターにも言われただろ。それこそ俺たちが“姫野さんの大切な人”になったり、本人から話してくれたら別だけどさ。…それに、さっきから課長がハラハラしてるんだから、いい加減にやめないと…。しかも仕事中だし。」

ハッ…。桜葉くんありがとう。

「桜葉、ありがとう…止めてくれて。…姫野さん、大丈夫か?マイナス感情に引っぱられてはいないか?」

「ちょっと自分から【()】の方へ向かいそうでしたけど…持ち直したので大丈夫ですよ、課長。…桜葉くんもありがとね。」

「いいえ。課長、姫野さん。ただ止めただけですよ。……俺もちょっと分かってきたみたいで良かったです。」

「“姫野先輩”、すみません!僕、そんなつもりはなかったんです。ただ本条課長がすごいなって…。つい…。」

ふふっ。そんなに眉をハの字に下げて落ち込まなくて大丈夫よ。津田くん。

「自然に出ちゃった言葉だって分かってるから大丈夫よ、津田くん。落ち込まないでね。むしろ、【想像エクスポージャー】のトレーニングになってるから良いぐらいよ。……うん、課長は頭の回転が速いからねー。ビックリするよね、分かる。」

私がそう明るく言うと、津田くんもパァッと表情を明るくさせる。

「おぉ、これは良いものを見せてもらいました。“姫野さん”、桜葉くん、津田くん。本当にしっかりと〈PTSD〉患者との接し方を学んでくれたようだね。私まで安心したよ。……姫野さん、【働きやすい良いチーム】のようでよかった。」

「はい!院長先生。頼りになる“素敵な同僚や上司”が(そば)に居て下さって本当に心強いです。私は恵まれていますね。」

院長先生の穏やかな笑みにつられて、私の心も温かくなり…自然と顔が(ほころ)んでいくのが分かった。
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