佐藤さんは甘くないっ!

わたしの頬に触れていた手が、するりと零れ落ちていく。

ああ、離れていってしまう。

自分から手放した感情が、じわじわと空気に溶け出していく。

あの日、甘い毒を吸い込んだはずだった。

佐藤さんから致死量に達してしまう程の甘い甘い毒をたくさんもらった。

触れる指先も、吐息も、口付けも、目付きも、全てが優しかった。

全てがわたしを好きだと言ってくれた。

なのにわたしは佐藤さんを信じきれなかった。

最上さんのことは何もまだ解らないけど、わたしは佐藤さんを疑ってばかりだった。

こんなに愛してくれたのに。

こんなに真っ直ぐ向き合ってくれたのに。

どうしてわたしは三神くんの言葉通り、逃げてしまったんだろう。

どうして佐藤さんの言葉に耳を傾けなかったんだろう。

後悔だけが波のように押し寄せてくる。

わたしは佐藤さんに相応しくない。

十分夢を見た、幸せだった。

だからもう、良いんだ。

わたしは佐藤さんを縛っちゃいけないんだ。


「……おわかれ、です」


佐藤さんは目を見開いて硬直していた。

時間が止まったようだった。

呼吸ができない。

もうここに酸素なんかない。

佐藤さんがいてくれる日常が、わたしにとっての空気だった。

短い間だったけど、わたしを変えてくれた。

素直になることを教えてくれた。

愛される喜びを教えてくれた。

料理を振る舞う楽しさを思い出させてくれた。

優しいキスを与えてくれた。

会社に来ることが少し楽しみになった。

あんなに嫌いだった月曜日が憂鬱じゃなくなった。

ランチの時間が特別になった。

夜ご飯がデートの時間になった。

車のエンジン音を覚えてしまった。

革張りのシートの心地良さを知った。

同じベッドで眠る幸せを知った。

朝起きたら誰かがいてくれる安心感を知った。
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