佐藤さんは甘くないっ!
「さとうさん、」
無意識のうちに佐藤さんの名前を呼んでいた。
綺麗な双眸が不安そうにわたしを見つめ、ゆらり、揺らぐ。
何を言おうかなんて決めていないのに。
またわたしは先に名前を呼んでしまって。
だけどさっきとは違って、変な焦りは感じない。
……佐藤さんって、ただ呼びたかった。
「わたし―――むぐっ、」
大きな手が優しく、だけど慌てたようにわたしの口を塞いだ。
唇に佐藤さんの掌が当たっている感触にどぎまぎする。
「急な話だが明日から木曜まで出張が入った。……帰ってきたら返事を聞かせて欲しい」
あまりにも真剣な声音で言うものだから、思わず反射的に首を縦に振っていた。
わたしが頷いたのを確認してからそっと佐藤さんの手が離れる。
それに名残惜しさのようなものを感じてしまっているわたしは末期なのかもしれない。
……恋心なんて、芽生えていないはずなのに。
なのにこの気持ちは……一体なんなんだろう……。
「資料を綴じたら送っていく。もう遅いからな」
そう言って佐藤さんはホチキスを手に、相変わらずの高速で印刷した資料を綴じていく。
わたしも負けじとパチンパチンと音を鳴らし10分もかからずに終わってしまった。
そして一緒にオフィスを後にし、社員専用の駐車場まで肩を並べて歩く。
佐藤さんが足を止めた場所には黒塗りで左ハンドルのBMWが鎮座していた。
……く、車まで、かっこいい。
車事情に疎いわたしでも知っている高級車のブランドに恐れ戦く。
しかし当然の如く車内は沈黙に包まれており、今更それに不快感も抱かなかった。
おやすみなさい、ありがとうございました。
手短にそれだけ告げて一度も振り返らずにマンションのエントランスをくぐる。
夢のような時間は呆気なく終わってしまい、シンデレラのような気分でわたしは眠りについたのだった。