夜叉の恋


震える小鬼を首を傾げて見遣る寧々は、ふと思い出したように訊ねた。


「ねぇ、小鬼さん。静さんは何処に行ったの?」

「知ルカ。オ前ガ目ヲ覚マス直前マデハ此処ニイタ」

「……そっか」


夢見心地な寧々の頬を撫でた冷たい手。

あれは確かに静の手だった。

触れられた箇所を撫でてみると、固まった血の感触がした。

同時に思い出す左足の痛み。

膝の辺りで丸まっている綺麗な小袖を捲り見てみると、紫色に腫れていた。

その腫れた足首を見て思う。

静が助けてくれたからこそ今の寧々は生きている。

小鬼が言うには静は鬼の中でも大鬼という類の力の強い妖で、それに比べて、……比べるのもおこがましいけどーー……寧々はちっぽけで非力で何の役にも立たない人間の子供だ。

そんな自分が村から追い出されて、今日まで命を繋いでいられるのは他ならぬ静の力があってこそ。

分かっていた。
分かっていたけれど、何でだろう。

ーー悔しい。

少しの出来心で誘い出されるまま夜の森へ飛び出して、自分だけじゃどうしようもなくなって、大き過ぎる力の前で只々命を請うことしかできなくて。

一人じゃ何にもできない。

そう、突き付けられた。


「……駄目だなぁ、私……」


ぽつりと呟く。

そんな寧々を訝しげに見上げる小鬼。

いなくなった静。

静は、何処に行ったのか。

ーーそもそも、また此処に戻ってくる保証は……何処にもない。

死ぬまで静と一緒にいたいと思った。

だけど、それは寧々の気持ち。

静にとって、そんな寧々の想いは迷惑でしかないだろう。

今回でよく分かった。


ーー私、足手纏いだ。


「……私……助かったの、間違いだったのかなぁ……」


思わず溢れた言葉。

その言葉に、小鬼は「ハァ!?」と盛大に声を荒げた。

そして間髪入れずに暴言を吐いた。

「面倒臭ェナ」、と。


「面倒臭いって……!」


悩んでいる人にそんな言い草はないだろう、と寧々がむくれてみても、小鬼はそんなことは何処吹く風、辛辣な言葉を並び立てる。


「ダカラ人間ハ嫌イナンダヨ、虫酸ガ走ル。助カラナカッタ方ガヨカッタ? オ前ハ死二掛ケテミテ、ソノ時ソウ思ッタカ? 我儘ナンダヨ。何考エタノカ知ラナイケドナ、鬼ハオ前ヲ助ケタ。ソノ事実ニグダグダ抜カスナ」


小鬼の言葉に口を噤む。

ズキズキと傷が痛む。

ぎゅ、と握り締めた手の中にあるのは綺麗な小袖。

静が持ってきてくれたもの。




ーー可哀想になぁ。虎吉目の前で殺されて、挙句連れてかれたんだろ?

ーーまぁ、仕方ねぇよ。虎吉一人の命と、そのカミさん一人の身差し出して村一つ救われたんだからよ。

ーー安い代償だと思えばなぁ。

ーー運がなかったんだよ、あんだけ美人なんだ。言うだろ、美人は命が短ぇーってな。

ーー違ぇねーや、はは。それよりも可哀想なのは娘さな。

ーーああ、あのガキか。よく川に潜ってる小っちぇーの。

ーーあの栗毛のな。目の前であんだけのことが起きて一人ぼっち、おまけに村に居場所がねーんだ。

ーーなぁ。それならよ、




“死んだ方がマシだったかもなぁ”




ずっと、ずっと。

心に突き刺さっていた黒い黒い棘。

ふとした瞬間に思い出したように疼くの。

何の役にも立たない可哀想な人の子は、きっと生きているよりも死んだ方がいっそーー……村の人達の、心の声。

一人ぼっちになったばかり、まだ少しだけ優しかった村の人達。

またご飯を少し恵んで貰おうと立ち寄った家から聞こえてきた会話。

静さんは優しいけど。

ーーそれももう、終わりかもしれない。

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