全ての大学生がキ聞かなきゃいけない、サイト。
丁度そんな時だった。万札、学問のすすめ、慶應。諭吉に関する知識ったらこんなもん。かなり乏しい。おかげで想像はたやすい。じぶん勝手に思い込む。素早く自分本意になれる。とことん突き進む。やがて自分の答えがみんなのこたえとなる。すべてがこれでは大変だ。自分ではなくまわりのひと。なおさら始末が悪い。周りの憤慨には気づかない。かなりたちが悪い。自分はろくでもない。そこは無視して文句は言う。こんなろくでなしは、いい。気づいた時から、やればいい。そう言ってくれるのなら安心した。追いつくことは無理。でもやればいい。そんなことより、諭吉の声がこだました。知識が少ないことをおかげと言うお前。じぶんのつごうですべてを見るな。もちろん言葉はない。それでも聞いた。詰め込むだけの知識は必要か?
「必要だ❗️」
凄く響いたんだ。私は知識はない。土俵があってもあがらない。そう言う奴だ、と見込んでくれた人がいた。そう、そこなんだ。自分の都合だけ、だったんだ。考え方まで自分を慰めていた。私は子供の時勉強してない。三大原則は覚えている。戦争放棄の後、勉強放棄か?他人ごとならいい。笑うに笑えない。長年の積み重ねは凄いと認めた時。私は長年の積み重ねって恐ろしいのね、とこえをかけられる。はじめてのショックだった。そりゃあそうだろう。この衝撃から逃げるために、自己弁護の考え方を積み重ねるなんて。挙句は自分の都合ですべてを見る。自分の正当化の為に社会のせいにする。悪い都合を忘れるためだから声を大にする。そして確信する。永久に忘れない方の記憶がすりかわる。こんな具合だからきづくことはない。でもわたしは気付いたんだ。今更おそくても気づけた。もちろんひとのおかげだ。こんな私でも長年付き合ってくれた人。ありがたい。人のおかげ、がやっと分かった。だっておれ一人だけだったら、何もやらないだろう。今やっとこう言える。わたしはそこからだんだんと変われたんだ。
それより諭吉だ。小、中学は義務教育。最低限やらなければいけないことは勉強だ。私でも思う。今なら思うか。子どもの時からやらなければいけないことをきちんとやる。勉強を無難にこなして、自分のやりたいこともやる。子供の時からやっていくんだ。子供が大人になる。やらなければいけないことが増えていく。義務教育の中で身につける。習慣にする。たまたまそれが勉強で、一番いいのも勉強だ。オマケに知識が増える。こんな風に言われたら私はわかったかも。せめてすべての子を土俵にあがらせてほしかった。いや私のことではない。あいつなら無難にこなして 、その上で遊びみんなの面倒をみる。そんながき大将がいたんだ。みんなが土俵に上がったら、スタート。そういうものであってほしかった。自分のことではないと、誰かの言葉を引用するしかない。
仕方なく読んでしまった人。意味がわからない。ややこしい。怒れても最後まで読むしかない。やり出したのはあなただ。一度やり出したら最後までやる。このクソ小説。でも途中でぶん投げたら信念が…。今の所安泰だ。私は。長い道乗りにしよう。この時、夏目漱石を感じた。どうして出だしが凄いのか。小説は最後まで読む。それは常識。だから最初の気合いはかなり凄い。道中は好き勝手。だからだ。「こころ」は一行目。「私はその人を常に先生と呼んでいた。」実は、ここで止まっている。かれこれ何か月。これだけで、私の夏目漱石を語れる。普通に読むなら.「私はその人を」で区切る。千円札の夏目の顔が頭に浮かぶ。ストイック、エゴイズム、やや違うか。自分が目立つ事が好き。いや人より上を目指す天才か?まあ自分の事に関してはかなり計算高い。そのしたたかさのおかげで人の話をきちんと聞く。こうなる、人より上。それには、人を知る。だったらまず話を聞く。これは絶対必要。子供の時、ここに執着したから天性か?でも、だれの話もまず聞く。そこは、努力だ。
「こころ」を「私はその」で区切る。教えてくれたのは角栄さん。「まあそのー」あの素敵な響き。実は「私はその」で区切ったんだって!そう真紀子さんが言ってた。違う、言って欲しいから、私は思った。で、「人を常に先生と呼んでいた」過去形か。え、吉川英治の「我以外皆我師」。あ、人か。人は常に先生。そう生きてきたのに、先生と呼べない人が?だとしたら、あなた自身の事だ。夏目漱石。一番皆に見られやすい千円札。後世まで目立つ。すごい。でも私だけは先生ではない。不純な理由でここまで来た。それとも、人並みに悩まなければいけない。だとしたら、「こころ」書いて、人の心もて遊ぶ。相手のほしい言葉が分かる人は悩むかもしれない。人並みに悩むべきか。夏目にとって未来の人。その人達、現代の人にけなしてほしかったようだ。だから私はとことんけなしたい。まだその先は読みたくない。なんと都合の良い小説だ。いやなんと勝手な解釈だ。とにかく途中で挫折ではない。まだ読みたくない。こんな小説もある。でもここは違いますよ。
だが、そのときはきづいてない。背いっぱい勝手に想像する。これだ!と思ったらやがてこれしかない。そして、妻に言う。聞いてくれるときはまだいい。いや、話はきちんと聞く。だから、怒る。でも言いたい。あんまり怒らせすぎた。だから舞台が変わった。ここで発散させるしかない。楽しむしかない。途端小説を書く。たぶん喋りすぎてここに辿り着く文豪。たくさんいる。あの世の作家みんなそれでいい。気分だけは大きくしたい。いずれにしろ話しは聞けない。だから自分の想いでいい。いいじゃないか。そこはいいでしょ。今はいい、にしとくか。だめだ、変わることはない。自分の想いは変わるだろ。でも、人のことは自分の勝手な思いでいい。
「必要だ❗️」
凄く響いたんだ。私は知識はない。土俵があってもあがらない。そう言う奴だ、と見込んでくれた人がいた。そう、そこなんだ。自分の都合だけ、だったんだ。考え方まで自分を慰めていた。私は子供の時勉強してない。三大原則は覚えている。戦争放棄の後、勉強放棄か?他人ごとならいい。笑うに笑えない。長年の積み重ねは凄いと認めた時。私は長年の積み重ねって恐ろしいのね、とこえをかけられる。はじめてのショックだった。そりゃあそうだろう。この衝撃から逃げるために、自己弁護の考え方を積み重ねるなんて。挙句は自分の都合ですべてを見る。自分の正当化の為に社会のせいにする。悪い都合を忘れるためだから声を大にする。そして確信する。永久に忘れない方の記憶がすりかわる。こんな具合だからきづくことはない。でもわたしは気付いたんだ。今更おそくても気づけた。もちろんひとのおかげだ。こんな私でも長年付き合ってくれた人。ありがたい。人のおかげ、がやっと分かった。だっておれ一人だけだったら、何もやらないだろう。今やっとこう言える。わたしはそこからだんだんと変われたんだ。
それより諭吉だ。小、中学は義務教育。最低限やらなければいけないことは勉強だ。私でも思う。今なら思うか。子どもの時からやらなければいけないことをきちんとやる。勉強を無難にこなして、自分のやりたいこともやる。子供の時からやっていくんだ。子供が大人になる。やらなければいけないことが増えていく。義務教育の中で身につける。習慣にする。たまたまそれが勉強で、一番いいのも勉強だ。オマケに知識が増える。こんな風に言われたら私はわかったかも。せめてすべての子を土俵にあがらせてほしかった。いや私のことではない。あいつなら無難にこなして 、その上で遊びみんなの面倒をみる。そんながき大将がいたんだ。みんなが土俵に上がったら、スタート。そういうものであってほしかった。自分のことではないと、誰かの言葉を引用するしかない。
仕方なく読んでしまった人。意味がわからない。ややこしい。怒れても最後まで読むしかない。やり出したのはあなただ。一度やり出したら最後までやる。このクソ小説。でも途中でぶん投げたら信念が…。今の所安泰だ。私は。長い道乗りにしよう。この時、夏目漱石を感じた。どうして出だしが凄いのか。小説は最後まで読む。それは常識。だから最初の気合いはかなり凄い。道中は好き勝手。だからだ。「こころ」は一行目。「私はその人を常に先生と呼んでいた。」実は、ここで止まっている。かれこれ何か月。これだけで、私の夏目漱石を語れる。普通に読むなら.「私はその人を」で区切る。千円札の夏目の顔が頭に浮かぶ。ストイック、エゴイズム、やや違うか。自分が目立つ事が好き。いや人より上を目指す天才か?まあ自分の事に関してはかなり計算高い。そのしたたかさのおかげで人の話をきちんと聞く。こうなる、人より上。それには、人を知る。だったらまず話を聞く。これは絶対必要。子供の時、ここに執着したから天性か?でも、だれの話もまず聞く。そこは、努力だ。
「こころ」を「私はその」で区切る。教えてくれたのは角栄さん。「まあそのー」あの素敵な響き。実は「私はその」で区切ったんだって!そう真紀子さんが言ってた。違う、言って欲しいから、私は思った。で、「人を常に先生と呼んでいた」過去形か。え、吉川英治の「我以外皆我師」。あ、人か。人は常に先生。そう生きてきたのに、先生と呼べない人が?だとしたら、あなた自身の事だ。夏目漱石。一番皆に見られやすい千円札。後世まで目立つ。すごい。でも私だけは先生ではない。不純な理由でここまで来た。それとも、人並みに悩まなければいけない。だとしたら、「こころ」書いて、人の心もて遊ぶ。相手のほしい言葉が分かる人は悩むかもしれない。人並みに悩むべきか。夏目にとって未来の人。その人達、現代の人にけなしてほしかったようだ。だから私はとことんけなしたい。まだその先は読みたくない。なんと都合の良い小説だ。いやなんと勝手な解釈だ。とにかく途中で挫折ではない。まだ読みたくない。こんな小説もある。でもここは違いますよ。
だが、そのときはきづいてない。背いっぱい勝手に想像する。これだ!と思ったらやがてこれしかない。そして、妻に言う。聞いてくれるときはまだいい。いや、話はきちんと聞く。だから、怒る。でも言いたい。あんまり怒らせすぎた。だから舞台が変わった。ここで発散させるしかない。楽しむしかない。途端小説を書く。たぶん喋りすぎてここに辿り着く文豪。たくさんいる。あの世の作家みんなそれでいい。気分だけは大きくしたい。いずれにしろ話しは聞けない。だから自分の想いでいい。いいじゃないか。そこはいいでしょ。今はいい、にしとくか。だめだ、変わることはない。自分の想いは変わるだろ。でも、人のことは自分の勝手な思いでいい。