ノラ猫
「あ、凛ちゃん……」
あたしの気配に気づいて、雄介さんが振り返った。
大丈夫……。
知らない奴、だなんて……
今はただ、記憶がないだけだから……。
「あ、たし……帰りますね」
無理やり笑顔を作って、花瓶を棚の上へ戻した。
智紀の顔を見れない。
今見たら、きっと泣いてしまう。
「智紀…さん。お大事に」
ぺこりと頭を下げて、逃げるように病室をあとにした。
泣かない。
絶対に泣かない。
だって誰も悪くない。
智紀だって悪くない。
記憶をなくしているのだって、彼の意思じゃないんだから……。
だから……
「凛ちゃん!」
グンと腕が引かれた。
そうやって、引き留めてくれることを、かすかに期待していた。