ノラ猫
 





「ただいま」


8時を回る手前で、部屋のドアが開いた。

ドキンと心臓が高鳴る。


「ただいま」


まるで何かを催促するかのように、人の目の前に立ってじっと見つめてくる。

え、何……?


「っ……」


何も答えないあたしに、智紀はぎゅっと鼻をつまんできた。


「ただいまって言ってんだろ」
「ぁ……おかえり、なさい……」
「ん。ただいま」



そうか……。
ただいま、と言われたら、おかえりと答えるのか……。

そんな当たり前のことすら、忘れていた。


「腹減ったー」
「……できてるよ」
「え。マジ?」


自分が作れと言ったんじゃないか。

一言答えて、キッチンへと身を隠す。


うならせてやろうとは言ったけど、果たして本当に、智紀が満足する料理になっているだろうか……。


ドキドキする鼓動を抑えながら、
すでに温めるだけとなった料理に再び火をつけた。
 
< 60 / 258 >

この作品をシェア

pagetop