じゃあなんでキスしたんですか?
会社のものとは比べ物にならないくらい豪華絢爛なエレベーターには、上品なスーツをまとった乗務員の姿がある。
ボタンパネルの前で、すこし粘っこいような特徴的な話し方で各階のアナウンスをしている。
人が降りていくごとにエレベーターは空間を広げていった。わたしは不自然にならないように隅っこに寄り、完全に壁を向いた。
これで絶対にわたしの顔を見られることはない!
完璧だ、と思った瞬間、大きな穴に気がついた。
これじゃ森崎さんがどこで降りるかわからない!
ちーんと古めかしいベルの音を鳴らし、エレベーターが停車する。
わたしは横目で彼らが降りていかないかを確認した。帽子のつばが邪魔をして、森崎さんの顔は見えない。でも、わたしは彼の服装をしっかり覚えていた。
「八階。美術、宝飾品売り場でございます」
独特の抑揚でエレベーター乗務員が案内する。
扉が開くと、ちいさく「降りるよ」と聞こえた。
聞き慣れた、低くて艶のある声に、思わず自分がそう言われているような気分になる。
反射的に振り向きそうになり、どうにかこらえた。視界の隅を、女性のスカートと黒いパンツの長い脚が通り過ぎていく。
エレベーターを降りた背中が、フロアの真っ白い光に照らされる。
見とれているあいだに扉が締まりそうになり、あわてて「降ります」と声を上げた。