じゃあなんでキスしたんですか?


正午過ぎ。
 
もしかすると、お昼ご飯を食べに行ったのかもしれない。
 
ダメもとで、わたしはエスカレーターを使って上の階のレストラン街に向かった。動く階段の上を歩きながらバッグの中のケータイを取り出す。
 
森崎さんの番号はしっかり登録されている。あの日、タクシーのなかで、彼のほうからわたしに番号を求めたのに、一度もかかってきたことはない。
 
いざとなったら、電話してしまおうか。
 
でも、いま電話をする理由なんかないし、居場所なんか聞いたら絶対に不審がられる。
 
不安に押しつぶされそうになりながら、周囲の飲食店に目を移す。そのとき、通路のずっと先に、背の高いふたりの姿を見つけた。
 
お店に入っていったのを確認して、急いで駆け寄る。
 
和食屋だ。
 
気が緩むと同時に、お腹の虫が鳴いた。
 
せっかく森崎さんを見つけたのに、ここでお昼を食べに行ってしまったらすべて水の泡だ。かといってさすがに同じ和食屋には入れない。
 
わたしはすぐ近くのベンチに腰を下ろすと、下の階で購入した漬物と佃煮を広げた。

「……すごく、ビール飲みたい」
 
でも尾行の途中でビールをあおってる人間なんて見たことも聞いたこともない。涙をこらえながら濃い味を噛みしめた。

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