じゃあなんでキスしたんですか?
正面からの声に顔を上げると、デスクにかけた森崎さんが書類を見ながら手招きをしている。
「はい、なんでしょうか」
わたしは席を立って課長の脇に立った。
長い指先が紙面の文章をさす。形のいい爪に、ほんの少し意識を持っていかれる。
「ここの表現。こういう場合は意味が変わってくるんじゃないか」
「え」
わたしは身を乗り出して、赤で丸印を付けられた文言を見た。
「これだけ調べ直してくれ。ほかはよくできてる」
そう言うと、課長はぶっきらぼうに書類を突き出した。わたしのほうを一度も見ずに。
「はい、ありがとうございます」
デスクに戻り、すぐに辞書をめくる。
知らず呼吸を止めていたことに気づき、ゆっくりと息を吸った。
わたしを覆う空気だけ、やたらと水分を含んでいるようで、吸い込んだ肺が重かった。