じゃあなんでキスしたんですか?
「無理をしなきゃいけない理由がなにかあって。理性で気持ちを抑えながら、なにか大切なものを守ってるんじゃないかなって」
「……ふうん」
突っ伏していたからだを起こして、桐谷さんは立ち上がった。長机をまわって、わたしのほうに歩いてくる。
「どんな理由があろうが、俺には理解できねぇけどな」
正面で立ち止まると、彼は手を伸ばした。長い指が、わたしの髪をすく。
「俺が拾ってやる」
真っ黒な瞳に蛍光灯の光がうつりこんで、わたしを、まっすぐとらえる。
「最初はどうしようもない奴だと思ってたけど、おまえ、なかなかやるよな」
そのとき、桐谷さんの背後で扉が開いた気がした。空気がちいさく揺れて、足音がひとつ、近づく。
彼も気づいているはずなのに、わたしから手を離さない。
「おまえはまだ卵だ。仕事でも、女としても。けど、ものすごい潜在能力を秘めてる」
「桐谷さ」
「だから、俺がおまえを」
彫刻みたいに整った顔が近づいて、後ずさろうとしたときだった。