じゃあなんでキスしたんですか?


「なんだい」

「部長の、奥さんって……」
 
到着したエレベーターが、音を立てて口を開く。それに乗り込みながら、篠沢部長は笑った。 

「僕の家内はね、以前、この会社の外商部にいたんだよ」
 
笑顔の余韻を残して、エレベーターは扉を閉める。
 
おもいがけない符合に、胸が熱くなった。
 
ホールを照らす蛍光灯が光度を増したみたいに、視界が明るくなる。
 

なぜだか意味もなく笑い転げたい気分だった。
 


仕事を辞めても、今、彼女は幸せなのだ。


 
篠沢部長の包容力がありそうなまるいお腹を思い出す。

社内で二十歳近く年の離れた女性をゲットした彼の、幸せそうなあの顔。


ごくちいさな塵まで一掃されて、心がクリアになっていく。

明るく照らされた未来に胸を躍らせながら、わたしは階段の扉を開いた。



< 239 / 265 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop