じゃあなんでキスしたんですか?
「あ、小野田です。小野田都(おのだみやこ)」
最初に会ったときに名乗ったはずなのだけど、桐谷統吾は無駄なことと判断したことは記憶に留め置かないらしい。
ということは、わたしの仕事は無駄ではないと、考え直してくれたのかな。
胸の中に沸き起こった喜びに顔を緩めたとたん、不敵な微笑が間近に迫って、わたしは固まった。
「ふうん、ミヤコ、ね」
下の名前を呼び捨てされて驚いているわたしの足元に、彼の目線が下りる。思わず二歩あとずさった。
「そんじゃミヤコ、土曜な。変なカッコしてくんじゃねーぞ」
含むように笑うと、桐谷統吾は透明のガラス扉を開いた。
煙草の香りをまとったエースの細い背中は、一度も振り返ることなく、颯爽と外商部のフロアに消えていった。