じゃあなんでキスしたんですか?
桐谷さんは休日の人ごみの中をを早足で進んでいった。
引きずられるようにして歩きながら、わたしはカジュアルなジャケットに覆われた細身の背中を見上げる。
一見さわやかなその後ろ姿から、なにかどす黒いものがにじんで見える。
わたしは心の中で悲鳴を上げた。
これは絶対にデートなんかじゃない!
わたしはきっと、ひと気のない場所に連れていかれて、黒づくめの怪しい連中に引き渡されて、どこかに売り飛ばされるんだ!
誰かに助けを求めようとあたりを見回しても、見せかけ王子に視線のみならず心まで奪われている女子たちが目に入るばかりだ。
この人は、あなたたちが思うような王子様じゃないですよ!
腹の中は墨をぶちまけたみたいに真っ黒ですから!
そう叫びたい衝動をこらえながら、とにかく変な場所に連れ込まれる前に逃げ出そうと考えた。そして、桐谷さんは足を止める。
「ほら、ここだ」
「え……」
意地悪な笑みを浮かべた彼に、促されるようにして頭上を仰ぐ。
巨大な看板の鮮やかな緑色が目に飛び込んでくる。