じゃあなんでキスしたんですか?
「期待してる」
低いつぶやき声がちいさな閃光になって、わたしをつらぬいた。
心臓が、突然病魔に冒されたみたいに、体のなかから胸を圧迫する。
なにこれ――
変だ。
悲しいわけでもないのに、涙が出そうになるなんて。
森崎課長がひらりと右手を揺らした。
「おつかれさん、今日はもう帰っていいぞ。戸締りは俺がやっておくから」
「え、でも」
課長はモニターに向かってキーを打ち始めた。がらんとしたフロアのなかに、プラスチックがかたかたと跳ねる。
「課長は残業ですか? お茶入れましょうか」
「いや、すぐ終わるからいいよ。気兼ねしないで帰りなさい」
その目はモニターに向いたままでわたしを見ない。
高揚していた気持ちが、穴のあいた風船みたいにしゅうしゅう音を立ててしぼんでいく。
ここにわたしがいると、仕事の邪魔になるのかもしれない。
「あの、じゃあ、お先に失礼します」
「ああ」
低い声に一礼して歩き出す。
廊下に出る直前に一度振り返ると、蛍光灯の光がまるでスポットライトみたいに彼だけを照らしていて、なぜかまた泣きそうになった。