チューベローズの深層心理
『貴女にはクチナシが似合うから』
そう言った母は、とても優しく穏やかな人だった。いつまでも長生きしそうなそんな母は、事件に巻き込まれて亡くなった。私が部屋で読書をしていたとき、リビングに泥棒が侵入していたのだ。私が気づいたときにはもう遅く、抵抗していたらしい母は犯人に刺し殺されていた。
私はそれに、気づけなかった。
「お母さん、おはよう」
夏が終わってしまった。
お母さんの名前が刻まれた墓の前にしゃがみ込み、手を合わせて目を閉じる。もうすぐ私も高校二年生だよ、少しは大人っぽくなれているかな。落ち着いているすーちゃんの隣に居られるように、髪も伸ばして、精一杯背伸びをしているんだけど。どうかな。
「………」
返事はない。あるわけないか、と立ち上がった瞬間に聞こえてきた足音。遠い、けど聞こえる。誰だろう、お墓参りに来たのかな。私の目線の先にある曲がり角からふっと姿を現した、足音の正体。
「…あ」
思わず、と言ったように声を出したその正体は、見たことのない男の人だった。整えられていない黒髪は少し清潔感に欠けているけど、それでも整っている部類の顔立ちだと思う。すーちゃんが好きそうな怠い感じの顔付きだ。
「…野村紗羽ちゃん?」
「え」
「のむらさはねちゃん、だよね」
「………」
一歩、後ずさった。
「なんで名前知ってるの」
「いや、まあ、色々あって」
不審者か。一番確率の高い可能性を弾き出して、すぐに置いてあった鞄を引っ掴んで走り出した。すれ違った時に「えっ」という戸惑いの声が聞こえたけど、それがどうした。私は普通の女子高生だ。そこらの少年漫画にいるヒロインのように、怖いものと対峙したときに頑張って向き合える根性などない。
「ま、待って!」
が、しかし、私は確かに普通の女子高生だった。ぱっと見、私より数個年上なだけの若い男の人に脚力で勝てるわけもなく、あっという間に追いつかれて腕を掴まれてしまった。悲鳴でも上げるべきだろうか。いやでもイケメンに悲鳴は失礼だろう。イケメンは何しても許されるなど、世知辛い世の中になったものだ。
変な方向に飛んで行った思考回路のせいで、きゅっと眉間に皺が寄る。掴まれていない方の手でその皺を解すように眉間を押していると、目の前の男の人はへらりと笑った。
「俺は、君のお父さんの教え子だよ」
「…………は?」
私の母の話はしたが、父の話はまだだった気がする。私の父は大学教授で、少しだけ有名な大学で数学を教えている。だからなのかは知らないが物事を論理的に考える部分があり、感覚的で朗らかだった母とは正反対の堅物親父だ。嫌いではないけれど。
「野村教授にはお世話になってる」
「え…お父さんの、生徒…?」
「うん。序でに言うと君のお母さんにも会ったことがある」
「は?」
二回目の「は?」である。仕方ないだろう、いきなり見知らぬ男性にお前の両親と顔見知りだなんて言われたら誰でも動揺する。と思いたい。とにかく腕を離してくれと頼めば、逃げないことを約束にそっと離してくれた。正直痛かった。
「野村大地さんと、野村優花さん」
「…お父さんとお母さんの名前…」
「これ大学の学生証。信じてもらえた?」
「……うん」
そこには確かにお父さんが働いている大学名が書かれていて、証明写真もこの人と同一人物で。この人がそこの生徒だと信じざるを得なかった。
そう言った母は、とても優しく穏やかな人だった。いつまでも長生きしそうなそんな母は、事件に巻き込まれて亡くなった。私が部屋で読書をしていたとき、リビングに泥棒が侵入していたのだ。私が気づいたときにはもう遅く、抵抗していたらしい母は犯人に刺し殺されていた。
私はそれに、気づけなかった。
「お母さん、おはよう」
夏が終わってしまった。
お母さんの名前が刻まれた墓の前にしゃがみ込み、手を合わせて目を閉じる。もうすぐ私も高校二年生だよ、少しは大人っぽくなれているかな。落ち着いているすーちゃんの隣に居られるように、髪も伸ばして、精一杯背伸びをしているんだけど。どうかな。
「………」
返事はない。あるわけないか、と立ち上がった瞬間に聞こえてきた足音。遠い、けど聞こえる。誰だろう、お墓参りに来たのかな。私の目線の先にある曲がり角からふっと姿を現した、足音の正体。
「…あ」
思わず、と言ったように声を出したその正体は、見たことのない男の人だった。整えられていない黒髪は少し清潔感に欠けているけど、それでも整っている部類の顔立ちだと思う。すーちゃんが好きそうな怠い感じの顔付きだ。
「…野村紗羽ちゃん?」
「え」
「のむらさはねちゃん、だよね」
「………」
一歩、後ずさった。
「なんで名前知ってるの」
「いや、まあ、色々あって」
不審者か。一番確率の高い可能性を弾き出して、すぐに置いてあった鞄を引っ掴んで走り出した。すれ違った時に「えっ」という戸惑いの声が聞こえたけど、それがどうした。私は普通の女子高生だ。そこらの少年漫画にいるヒロインのように、怖いものと対峙したときに頑張って向き合える根性などない。
「ま、待って!」
が、しかし、私は確かに普通の女子高生だった。ぱっと見、私より数個年上なだけの若い男の人に脚力で勝てるわけもなく、あっという間に追いつかれて腕を掴まれてしまった。悲鳴でも上げるべきだろうか。いやでもイケメンに悲鳴は失礼だろう。イケメンは何しても許されるなど、世知辛い世の中になったものだ。
変な方向に飛んで行った思考回路のせいで、きゅっと眉間に皺が寄る。掴まれていない方の手でその皺を解すように眉間を押していると、目の前の男の人はへらりと笑った。
「俺は、君のお父さんの教え子だよ」
「…………は?」
私の母の話はしたが、父の話はまだだった気がする。私の父は大学教授で、少しだけ有名な大学で数学を教えている。だからなのかは知らないが物事を論理的に考える部分があり、感覚的で朗らかだった母とは正反対の堅物親父だ。嫌いではないけれど。
「野村教授にはお世話になってる」
「え…お父さんの、生徒…?」
「うん。序でに言うと君のお母さんにも会ったことがある」
「は?」
二回目の「は?」である。仕方ないだろう、いきなり見知らぬ男性にお前の両親と顔見知りだなんて言われたら誰でも動揺する。と思いたい。とにかく腕を離してくれと頼めば、逃げないことを約束にそっと離してくれた。正直痛かった。
「野村大地さんと、野村優花さん」
「…お父さんとお母さんの名前…」
「これ大学の学生証。信じてもらえた?」
「……うん」
そこには確かにお父さんが働いている大学名が書かれていて、証明写真もこの人と同一人物で。この人がそこの生徒だと信じざるを得なかった。