警備艇乗船前の電話
妻からの手紙
「そうだったのか。」
僕の自宅にいるはずの百合恵に会いに,福岡市内の僕名義の一軒家に急いだ。
そこには,百合恵が一人苦しんでいるはずだ。
念のため,僕は上司に家庭の事情で急遽休みたいと言ったときに,少しだけ理由を話した。それが「もしかしたら,DVになっているかもしれません。」とだけ。
僕の自宅に着いたとき,ちょうど昼の12時だった。
新興住宅地の一角にある僕名義の一軒家の周りは,しーんと静かだった。そうだろう,皆夫婦とも働いてローンを返しているんだ。12時ちょうどと言えば,主婦がパートに出ていて,お留守になっていることがもっとも多い時間帯だ。
僕は,「はーーすーー」と深呼吸した。ピンポーンを押すと,室内のインターフォンから玄関前の僕を見付けた男が,いきなりけんか腰で出てくるかもしれないと覚悟した。
誰も出ない。僕はもう一度深呼吸して,さらに「ピンポーン,ピンポーン」と鳴らした。二度鳴らしたのは,僕がここからは決して引き返さないとの気持ちを表したつもりだった。
誰も出ない。僕は電気メーターを探して,屋内に人がいるかどうか確認した。
だが,メーターは動いていなかった。
もしかしたら,男も昼間は仕事をしているか,パチンコにでも言っているかもしれない。すると,百合恵は小学校に行っているだろう。僕は,ここでこの足で百合恵の小学校に行こうかと迷った。だが,もし百合恵が学校に行っているなら,とにかく今という瞬間には百合恵は危険な目に遭っていない。だから,選択肢から除くことが正解だ。もし,この家の中で令のこと子が声を潜めているなら,百合恵が危険な目に遭っていることになる。
僕は,後者を選択した。庭の方に回ってみた。庭に面したリビングにはカーテンが閉じていた。黄色のカーテンだ。窓を叩いた。すると,意外にも中から反応があった。
「誰だ?」
「百合恵の父親だ。百合恵はいるのか」
「ああ,いるよ,中に入ってくれ。」
中に入ると,リビングのテレビで,百合恵が床に座ってテレビ漫画を見ていた。物音に気づいて,座ったまま振り返った。そして,僕に気がつくや,泣きそうな顔をいて,僕に走ってきた。
*******
僕は,リビングのソファに座った。膝に百合恵を乗せながら。百合恵は,寂しかったのか,僕の膝の上に座ったまま,手をしっかりと僕の上着の端を掴んでいた。
「おまえは,なんでここにいるんだ。おまえは栄子とどんな関係なんだ。」
「私は,栄子さんの友人です。」
「はあ,友人ってどういうことだ。男と女で友人ってないだろう。」
「だいたい,友人っていうけれども,なんで亭主の家に勝手に上がり込んでいるんだ。」
「それには長い話がありまして・・・」
「いや,どうせ浮気だろう。いろいろあるかもしれないが。なれそめみたいなことは聞かないからな。」
「そう言われてしまえば,そのとおりです。」
「上手いこと騙したんだろう。今,栄子は大変なことになっているんだ。」
「大変なことと言われると?」
膝の上で,黙って話を聞きながらも,意味は分かっているのだろう,「大変なこと」と言ったところで,百合恵が僕の服を掴む力が強くなった。
「おまえ,歳はいくつだ。仕事はしているのか」
「歳は23歳です。仕事はしていません。大学院で研究中です。」
「なんだとー,学生だとーー。無責任な。栄子を寝取ってどうするつもりだ。ええ。」
「いや,寝取っただなんて。」
「違うのか,寝たんだろう」
「いや,。。。」
「まあ,いい,とにかく出て行ってくれ。ここは俺の家だ。おまえ,もしかして百合恵に手を出してないだろうな。」
「そんな,百合恵ちゃんは遊び友達ですから。」
「いいから,今日はここから出て行け,百合恵がおびえているだろう。」
「分かりました。」
「おまえ,名前と電話番号を置いていけ」
「はい,木下祐三,電話はここに書いておきます。」
木下は,早々に出て行った。詳しい事情は,落ち着いたところで百合恵から聞こう。今は,寂しそうにおびえている百合恵を落ち着かせることだ。そして,対馬中央病院で寝たきりになっている栄子をどうするかだ。離婚か?離婚しても当然だろう。