コーヒーを一杯
店を出ると、木枯らしが纏わりつくような寒さをつれてきた。
私は寒さに身を縮め、焦る気持ちで娘の待つ家に足を向ける。
急ぐ気持ちとは裏腹に体は年に勝てなくて、急いでも急いでもなかなか家に辿り着けない。
そうしているところへ、向こう側から歩いてくる娘の姿に気がついた。
父親の仏壇を前に切ない表情をしていた娘なのに、私を迎える顔はとても柔らかで穏やかなものだった。
「遅いから心配したじゃない」
小走りに駆け寄ってきた娘が、優しく笑みを作る。
そうして私の隣に並び、ゆっくりとした歩みで一緒に家路を辿る。
少しすると、なんとなく躊躇いがちに娘が口を開いた。
「ねぇ、お母さん……」
「なんだい?」
隣の娘を見ると、何か言いたそうな顔をしているものだから、私は黙って言葉を待っていた。
「……今日は寒いから、クリームシチューにしない?」
躊躇っていたあとの言葉は特に何といったものではなくて、いつものような振る舞いの娘に私はただそうだね、と返し頷いた。
躊躇っているような感じに見えた娘だけれど、私の方がよっぽとで。
時子さんに背中を押されたこともあって、娘にあのことを訊かなくてはいけないと何度も口を開くのだけれど、喉元まで出かかった言葉はすぐに戻ってしまい、なかなか訊けずにいた。
すると。
「ねぇ、お母さん……」
娘は、また同じように私を呼ぶ。
私は、自分よりも少し背の高い隣を歩く娘の顔を見た。
「ずっとね、言いたかったことがあるの」
そういわれて、私は息を呑んだ。
もしかしたら、娘はあの時のことで私に言いたいのかもしれない。
私が余計なことをしたせいで、結婚できなかったと。
子供だって欲しかったのにと。
今も結婚できないのは、私のせいだと。
私はジリジリと迫る娘からの言葉に、心臓が苦しくなるほどだった。
「私、感謝してるの」
……感謝?
今まで溜め込んできた思いをぶちまけられるのかとビクビクしていた私は、拍子抜けしたようになる。
「私が、高橋って人を連れてきたときのこと。覚えてる?」
けれど、高橋のことだといわれ、心臓を握られたみたいにまたぎゅっと胸が苦しくなった。
「あの時、お母さんが認めないって結婚を反対したでしょ」
「あれは――――……」
「あの人ね。あとから知ったんだけど。私のこと、騙すつもりだったみたいなの」
娘の告白に私は驚いた。
「あのしばらくあとかな。私、騙されていたことを偶然知っちゃったんだよね。初めは信じられなかったんだけど。時間をおくごとに、彼のおかしなことに色々気がついて。ああ、私コロッと騙されてたんだなって」
娘は、恥ずかしそうに肩をすくめる。
「あの時、お母さんがやめなさい。て言ってくれなかったら、私今頃大変なことになってたと思うんだ。だから、ありがとう」
そうしたあとに、今までずっと言えなくてごめんね。と笑う。
「騙されてたなんて言うのが、恥ずかしかったけど。もしかしたらお母さんは、あの時気がついていたんじゃないかなって思ったから」
私は何度も首を横に振った。
何も知らなかったよ、と。
謝りたかったのは、私のほうだよ、と。
「私、こんな年だけど。結婚を諦めたわけじゃないからね。いい人が見つかれば、またきっと連れてくるから。そしたら、お母さん。私のかわりに、相手の人のこと見極めてね」
娘は、そういって楽しそうに笑う。
ああ、間違っていなかった。
娘は、やっぱり芯の強い真面目な子に育っていた。
私の自慢の娘だよ。
夕暮れの空を仰ぎ、私は娘を誇りに思う。
「今日は、私がクリームシチュー作るからね」
そっと繋がれた手がとても暖かくて、目じりに涙が滲んだ。