コーヒーを一杯
ストンとカウンターの椅子に座れば、空気でも抜けたみたいに背が丸まっていく。
彼のことを考え、今のこの状況を思えばため息しか出ない。
自信なんて少しもなかった。あの時した約束だって、彼にしてみたら軽い気持ちだっただろう。
あれから五年だ。
私との些細な約束を彼が覚えているかもしれないなんて、なんて馬鹿なのだろう。
いい気になってヒールや服を新調して、鏡の前で頬を染めていた数時間前の自分が恥ずかしすぎる。
今まで爪を飾るなんて興味も持たなかったけれど、今日は特別だからと初めてネイルもしてもらった。
自分の手じゃないみたいにキラキラとした綺麗な爪はとても明るい色合いで、人差し指の先で陽気なサンタが踊っていた。粉雪降る景色もとても綺麗に仕上げてもらったというのに、今では滑稽でしかない。
カウンター席で背を丸めうつむく私に、店主の女性が話しかける。
「何がいい?」
訊かれて、ここがカフェだということを思い出した。
外の寒さと心の不安から椅子に座った途端に気が抜けて、ここがどこなのかを忘れていた。
誰もいない静かな空間と、柔らかな室内の明かりは、まるで自宅でくつろいでいるときのようで、心が油断していたようだ。
「コーヒーかい? うちはコーヒーもだけど、カップにもこだわりがあるんだ。なんならケーキもあるよ。今日はティラミスだ」
言われてどきりとした。
ティラミス……。
心の中で呟き、丸まっていた背中を少しだけまっすぐにして顔を上げた。
店主の立つ背後の棚を見ると、たくさんの素敵なコーヒカップが飾られているのが目に付いた。
「どれでも好きなものに入れてあげるよ」
その言葉がまるで興味のあるおもちゃでも差し出されたみたいに、不思議とさっきまでの後悔に後ろを向いていた暗い気持ちがかき消されていき、子供みたいにワクワクと飾られているカップを眺めた。
ゆっくりと順繰りにカップを吟味して、一つに目を止める。
「あっ、あの。金色と深いピンク色の装飾のでお願いできますか?」
慌てる必要などないのに、言葉が先走るように口からついて出る。まるで、誰かにそのカップを取られてしまう前にと、それこそ子供みたいな自分がいた。
選んだカップはとても華奢でいて、柔らかな線が描かれていた。深いピンクのラインは金色のラインと折り重なるようにカップの側面を流れていて、絡み合い方がとても素敵に見えた。
「りょうーかい。あ、それから。あたしの事は、時子と呼んでおくれ」
店主の女性は満面の笑顔を私に向けた後、ご機嫌な様相でコーヒーの準備を始めた。
時子……さん。
なんだか、不思議な人。
ドリップが始まるととても芳ばしくていい香りが鼻孔をくすぐり、さっき選んだカップで早く飲みたいと気持ちが前のめりになっていく。
そうやってコーヒーの香りに目を瞑ると、五年前のことがまた甦ってきた。