コーヒーを一杯
彼とした約束のご褒美は、あの日果たされていた。
カジュアルなイタリアンのお店で向かい合って座り、手作りの生パスタに絡むラグーソースはとても美味しかった。彼はグラスにワインを、私はアップルサイダーを。
話も弾み、目の前の彼に夢中になりながら食事をした。
大好きな人の前でパスタを食べるのは、とても難しくて、とても恥ずかしくて。
ソースを飛ばしてしまわないように、口の周りを汚さないように、カチャカチャと食器を鳴らさないように。いろんなことに気を使って、彼に好かれたらいいなって、必死に自分をよく見せようと努力した。
彼女がいるのに好かれたいと、本気で思っていた。
食事が終わると、ざっくりと四角く切り取られたようなティラミスが、真っ白なプレートに彩られて現れた。
真っ白な粉雪のような砂糖が降りかけられたティラミスのプレートには、チョコレートのソースで「おめでとう」と書かれていて、本当に嬉しくてたまらなかった。
彼がお店の人に頼んでくれた気持ちが嬉しくて、私の顔はさっきよりももっと笑顔になった。
できたら抱きついてしまいたいほどに嬉しい気持ちになったけれど、テーブルが邪魔をしてそれは叶わなかった。
ううん、彼女がいる人に抱きつくなんて、そもそもダメだよね。
嬉しさの後に訪れた現実に、心はアップダウンを繰り返す。
それでも目の前にいる彼は今私と二人っきりで。私のためにこのティラミスを用意してくれたんだって考えれば、気持ちはやっぱり上がっていった。
だからかな。
調子に乗ってしまったんだ。
「ねぇ、先生。私が大学を卒業したら、またここで会おうよ」
嬉々として訊ねる私へ、彼は目を大きくして驚いていた。
本当は卒業なんて待てないって思った。けど、私が卒業する頃には、彼女と別れているかもしれないなんて計算をしてしまったんだ。
なんて浅はかで、小狡いのだろう。
私が卒業する頃には、彼は就職をして働いているだろう。きっと忙しくしているに違いない。
大学を卒業して働き始めた今の自分なら、そういうことにも気がつき考えられる。
けれど、あの時の私はなんとか彼との約束を取り付けたい、それだけでいっぱいだった。
私の提案に、困った顔をしていたかもしれない。
僅かな空白の時間が胸を苦しくさせていく。
断られるだろうか。
多分、断られるだろう。
彼女がいるのにそんな約束、できるわけがない……。
気持ちが落ちていくように顔が俯き始めたころ、彼が口を開いた。
「わかった。じゃあ、五年後のクリスマスイブなんて、どうかな? ちょっとロマンチックだろ?」
からかうような口調で、彼は私の大好きなクシャリとしたあの笑顔を向けた。
私は飛び上がりたいほどに嬉しくて、その日食べたティラミスは、今まで食べたどんなケーキよりも特別で美味しかった。