コーヒーを一杯
「からかっただけなんですよ、きっと。まだ子供だった私を喜ばせたいだけで、そう言っただけなんです。だから、約束なんて、あってないようなもので……」
自虐的に頬を緩めて笑うと、目の前の時子さんはうーん。なんて腕を組んで少し上を見上げてから私を見た。
「本当にそうなのかねぇ」
納得のいかないような顔をして、時子さんが腕組みを解いた。
その顔に向かって、先ほど見たあの光景を口にする。
「それに……」
「それに?」
二人で行った想い出のカジュアルレストランがあったあの場所は、今ではパーキングに変わってしまっていたことを話した。
「あらあら」
「約束の場所にたどり着いたら、お店なんてどこにもなくて。ただ真っ暗なその場所には、街灯の明かりが一つ二つ届いているだけで。その暗さや、乏しい灯りが、自分のしていることを笑っているみたいで居たたまれなくて……。だから、私。その場所から逃げてきたんです」
真っ暗で息もしていない車が何台かしか停まっていないのは、まるで調子に乗った私へ冷静になりなさいって言っているみたいだった。
何を調子にのっているの、現実を見なさい、と。
じんわりと目元に雫がたまる。
何もなくなってしまったあの場所に彼が来てくれるわけがないと、私はこぼれてしまいそうな涙をこらえた。
涙がこぼれ出さないように瞬きをこらえて、カップに手を伸ばす。
「困ったお嬢さんだねぇ」
時子さんは、少し悲しげで、けれど温かな笑みを私に向けて呟いた。
「ほら、見てごらん」
何を?
そう思うよりも先に、ぼやけ始めた視線が自然とコーヒーの水面へと移る。
「あ、……先生」
コーヒーの暗い表面には、焦りを滲ませたようにパーキングの前でキョロキョロとしている人物が映っていた。
どうしてコーヒーに彼が映っているのかなんて、そんな事は少しも不思議に思わず。
それより、アタフタというように焦りを滲ませている、懐かしい彼に目を奪われた。
おかしいなと言うように頭をかき、場所でも確認しているのか、何度も辺りと携帯画面を見比べている。
「待ってるんじゃないのかい?」
カップから顔を上げると、行ってきな。そう言うように心強い表情の時子さんが私を促した。
慌ててバッグを手にして財布を取り出そうとしたら止められた。
「お代はいいよ。なんてったって、今日は特別な日だからねぇ」
可愛らしいウインクをした時子さんに頭を下げて、私はカフェを飛び出した。
ドアが閉まる間際に、時子さんが「メリークリスマース」とかける明るい声が耳に届いた。